澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -440-
北朝鮮の金正恩委員長「重篤説」

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 かねてより北朝鮮の金正恩委員長は健康状態に不安があると噂されていた。昨2019年末、実妹の金与正が朝鮮労働党中央組織部(北の権力中枢機関)第1副部長となった。同中央組織部部長は第1副部長が(金正恩委員長を除き)北の実質的ナンバー1である。万が一のため、金正恩委員長から金与正への権力継承がなされたと見るべきかもしれない。
 今年(2020年)4月11日から、金委員長は姿を消している。4日後の15日は北朝鮮の「太陽節」(金日成主席の誕生日)であり、委員長が必ず姿を現すと思われた。
 だが、同日、金委員長は心臓疾患のため手術を受けた。よく知られているように、委員長は肥満体質である。執刀医が本来ならば1分でできるはずの(血管を拡げる)ステントが8分もかかり、委員長が重篤な状況に陥ったという。同月23日、中国医師団が北朝鮮へ入った。おそらく、すでに手遅れとなっていたのではないだろうか。
 4月18日、トランプ米大統領は、金正恩委員長から素晴らしい手紙を受け取ったと発表した。だが、翌19日、北朝鮮は金委員長がトランプ大統領に親書を送っていないと否定している。
 翌20日、米CNNは金正恩委員長が重篤な状態だと報じた。他方、韓国政府は金委員長「重篤説」を完全否定した。ちなみに、4月30日、台湾の国家安全局(情報機関)の邱国正局長は、金委員長は病気だと公言している。
 さて、5月1日、金正恩委員長が、突如、順川リン酸肥料工場(平安南道)の竣工式に姿を現した。
 その日、トランプ大統領はその件について「まだコメントしたくない。適切な時期に何か言うことがあるだろう」と記者団に述べた。大統領は、金委員長の健康状態に含みを持たせている。
 5月1日、姿を現した金正恩委員長とされる人物は、明らかに本人ではなかった。その点に関して、李真実氏の指摘が鋭い。同氏は、金正恩委員長のホクロ有無や眉毛の長さ、耳の形状等から、当日、竣工式に登場した人物は「影武者」ではないかと推測している。
 また、李氏は、金与正の「影武者」にも言及している。肌の色、眉の長さ、髪のまとめ型、首の長さ等、金与正ではなく別人である事は疑う余地もない。
 では、なぜ、その日、本物の金与正が登場しなかったのか。
 (1)金委員長が重篤状態で金与正は悲嘆にくれ、竣工式に出席する状況ではなかった。
 (2)金委員長が脳死状態なので、金与正が委員長看護のため、そばにつきっきりだった。
 (3)金委員長後、金与正が北朝鮮のトップになる事を喜ばない軍や党の幹部らが、彼女を軟禁(あるいは監禁)している。なぜか、近頃、委員長の妻、李雪主も姿を見せていない。
 (4)本物の金委員長が出席しない竣工式など、馬鹿らしくて金与正は出席したくなかった、などが考えられる。
 更に、英『ザ・サン』紙(今年5月6日付)によれば、2017年7月28日の写真の中、火星14ミサイル発射現場には、金正恩委員長とおぼしき姿が3人も写っている。以上が、金正恩委員長の「影武者説」(=「重篤説」)の概要である。
 次に、高英起氏の朝鮮労働党分析も傾聴に値しよう。
 高氏によれば、毎週、水曜か木曜に指示される金正恩委員長からの「通達」が、最近、急に変わったという。
 以前、委員長からの通達には、項目ごとに細かい指示があった。ところが、今の通達には、項目が並べてあるだけで詳細な内容が一切記載されていない。また、これまで、委員長は部下からの質問に答える文章があったが、今ではそれがなくなっているという。
 これは、北の最高指導者が重篤な状態である事を示しているのではないだろうか。
 ところで、5月3日、南北軍事境界線の警戒拠点「歩哨所」で北朝鮮軍は、いきなり韓国軍に発砲した。そのため、一時、両軍は銃撃戦となった。だが、幸いにも、負傷者は出なかったという。
 この“意味不明”な北朝鮮から韓国への発砲事件も、金正恩委員長「重篤説」と何らかの関係があるのではないか。
 その上、5月8日、北朝鮮の朝鮮中央通信は、金正恩委員長が習近平主席に対し「口頭親書」を送ったと報じた。その中には「中国で収めた成果に対してわれわれのことのようにうれしく思う」というくだりがあった。「新型コロナ」蔓延で北朝鮮経済は大きな打撃を受けているとみられ、中国に支援を期待したのではないか。
 問題は、なぜ金正恩委員長は「親書」ではなく「口頭親書」になったかである。普通ならば、委員長が中国に「親書」を送ればいい話である。それが、「口頭親書」になったのは、金委員長の身に重大な事件が起きたからではないだろうか。