明治日本の産業遺産を振り返る
―産業遺産情報センターと情報発信、そして次代への継承―

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主任研究員 加藤博章

 2020(令和2)年6月15日、産業遺産情報センターが一般公開された。既に3月31日に開所式は行われていたが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、臨時休館となっていた。現在は、完全予約制とし、入場人数を制限した上で開館されている。
 産業遺産情報センターは、8県11市に立地する世界遺産「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のビジターセンターの中核センターである。ここでは、情報発信と、国内外の産業遺産並びに産業史の史料収集、調査研究、広報活動、インタープリテーション、教育・研修、保全と活用、デジタル文書化を行っている。
 本センターの開所以来、軍艦島に関する朝鮮人労働者の展示について、毎日新聞や韓国のメディアが批判を展開しているためか、軍艦島に関する展示がクローズアップされている印象を受けるが、実際は軍艦島に関する展示は本センターの展示の一部に過ぎない。
 本センターの主眼は明治日本の産業革命遺産を後世に伝えることにある。例えば、幕末日本の歴史では、江川英龍が手掛けた韮山や、薩摩藩等の雄藩の反射炉が多く取り上げられている。とは言え、産業という視点に立つと、鉄製造は、砂鉄を使うたたら製鉄から、鉄鉱石を使う製鉄所と変わった。原料調達を容易にするために、製鉄所も鉄鉱山が近くにある東北に作られた。岩手県釜石にある橋野鉄鉱山と官営釜石製鉄所(新日鐵住金(株)釜石製鉄所の前身)は、そうした近代製鉄の歩みを詳しく教えてくれる。
 日本は、幕末から明治維新を経て、西洋列強に追いつくために政治・経済面での変革を余儀なくされた。西欧列強は、日本の近代化のモデルであったが、同時に脅威でもあった。欧米からの技術と資本導入に過度に依存すれば、日本独自での産業が育たず、完成品を輸入するだけになってしまう。その結果、日本経済全体が欧米に従属する、もしくは植民地と化してしまう危険性を孕んでいた。
 これは杞憂ではなく、中国やオスマン・トルコ、ラテンアメリカ諸国では、実際に起こったことである。日本は、こうした危機に晒されながら、たたら製鉄など、日本がそれまで培ってきた技術を元に、欧米の技術と融合させながら、自国の産業を育てていったのである。海軍を例に挙げるとすれば、最初は欧米から艦船を購入していたのが、最終的には戦艦大和、武蔵、そして各種空母など、当時の世界でも最新鋭の艦船を生み出すに至ったのである。
 こうした明治日本における産業の近代化の歴史を、世界の専門家達は興味深く見つめていた。彼らは、侍から出発した日本が世界の一等国を果たした秘密がどこにあるのかを知りたがっていた。そういう意味では今回の世界遺産指定は、こうした世界の疑問に対する日本の回答でもある。
 「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界遺産に登録されるまでには、一般財団法人産業遺産国民会議専務理事で、産業遺産情報センター長の加藤康子氏のみならず、伊藤祐一郎鹿児島県知事など、関係者の並々ならぬ努力があった。日本列島の広範囲に点在する複数の遺産をまとめて1件の世界遺産とするシリアル・ノミネーションという手法を取ったことから、各県や政府との連携が不可欠であった。本センターは、世界遺産となった産業遺産を紹介するだけでなく、世界遺産登録に至る努力にも触れている。
 更に、当センターは情報発信のみならず、国内外の産業遺産並びに産業史の史料収集、調査研究や教育・研修をも視野に入れ、多岐に亘る役割を担っている。
 また、近年、広報外交特に歴史認識について、学術的に世界に発信する重要性が指摘される中、冒頭で述べたように、本センター自体が歴史認識問題の最前線に立っているとも言えるが、このことが本センターの中心的目的ということではなく、客観的視点による「歴史」を明示し、その証言を遺すことに大きな意味がある。韓国などの主張に対抗する資料の発掘は、その副産物に過ぎない。
 日本には、アジア歴史資料センターや国立公文書館のデジタルアーカイブなど、各種のデジタルアーカイブがあり、日本に関する歴史資料の閲覧を望む海外研究者から高く評価されている。コロナ禍にあり、各アーカイブは休館を余儀なくされているが、過去の文書や証言の解析及び分析のデジタル化の促進は、歴史を伝える上での第一歩となり、対外発信における大きな影響力を持つこととなろう。
 尤も、資料をデジタル化するだけでは、歴史を伝えることにはならない。我が国の歴史を世界に発信するためには、歴史の語り手となる研究者の育成が欠かせない。本センターは情報発信や資料収集だけでなく、調査研究もその目的として掲げ、日本の歩んできた歴史を正しく伝え、後世に残すために、世界で活躍出来る人材育成を目指している。
 明治日本は、技術導入における人材育成の重要性をいち早く認識し、欧米先進国に学び、それを達成してきた。今日においても人材育成の重要性は変わらない。その出発点として、この度の産業遺産情報センターの開所を心から歓迎するものである。