澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -462-
中国歴史教科書「文革」評価の変遷

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 よく知られているように、1981年、中国共産党は11期6中全会で、「文化大革命」(1966年~76年。以下、「文革」)を総括した。同会議では「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」が採択され、毛沢東主席が起こした「文革」は「誤り」だった、とはっきり認めた。
 けれども、習近平政権は、「文革」(「文化小革命」・「第2文革」)を復活させようとしている。おそらく習主席は自らが毛主席と肩を並べる存在か、それ以上を目指しているのだろう。具体的に、次のような事例である。
 第1に、2015年頃から、「文革」時代の「密告」制度が復活した。例えば、生徒・学生が“誤った思想”を持つ教師・教授を当局に「密告」している。
 第2に、昨2019年10月以降、中国教育部(文部省)が全国で焚書を奨励している。そのため、文化的遺産である相当数の書物が焼失した。
 第3に、今年(2020年)7月、『人民日報』が「下放」(上山下郷運動)を推奨した。学生らが“自発的”に農村へ行くというのは建前で、実際には、「強制的」に農村へ送り込まれる。
 「文革」時の1968年、毛主席は都市の知識人青年約1,600万人を農村へ送り込んだ。だが、その多くの青年は都市へ戻る事ができなかったという。
 さて、今年9月4日付『多維』は「高級なブラック(党の理想、信念、目的、政策などの極端な解釈-引用者)か?中国共産党の誤りを是正し、『文革』に関する見解を回復させる」という記事を掲載した。教科書改訂の推移を見ると、中国共産党の内部事情を知る手がかりになるので、紹介したい。
 「新型コロナ」下、9月初旬に中国全土の中高が開校した。新学期高校1年の歴史教科書では、新しい教科書が採用された。1981年以来、「文革」については、評価が4回変更され、過去3年間では毎年書き換えられている
 まず、2018年版は、従来の教科書と異なり「文革」という章をなくして、それを「苦難の探求と建設の成就」という項目へ統合した。そして、以前、教科書に書かれていた毛主席の「過ち」等の表現を削除している。
 その他、同年版では、「文革」は「新中国建国以来、党と国と人民に最も深刻な挫折をもたらした」としながらも、「複雑な社会的・歴史的理由で発動された」と説明している。また、「社会主義国の歴史は非常に短く、わが党は社会主義とは何か、社会主義をどのように構築するかについて十分に明確にしていないため、その探求に遠回りをした」と「文革」を擁護した。ただ、「文革」に対する“同情”と“美化”に関して、多数の批判を受けている。
 18年版を見た大半の人々は、これは国政の「左」旋回(中国語の「左」は日本語の「右」)の兆候であり、中国が「極左」(=「極右」)という「昔の道」に戻るのではないかと心配した。
 しかし、2019年版の教科書は、前年版の「探究」「回り道」「挫折」「複雑な原因」などの表現を「『文革』はいかなる意味でも革命や社会進歩ではないことを証明した」と「文革」に関して再評価を始めた。
 更に、2020年版の教科書では、学習の“焦点”に「『文革』の理論と実践は間違っている」と明記し、「文革」については「いかなる意味でも革命や社会進歩ではなく、指導者の“誤ち”で、『反革命集団』に利用され、党・国家・人民に深刻な災いを招く内紛だったことを事実が証明している」と従来の中国共産党の公式見解を復活させた。
 以上が、記事の概要である。
 このように、近年、中国歴史教科書で大きく変化したのは、2018年版である。おそらく習近平政権は、前年の2017年(ないしは、それ以前)から「文革」への評価を変更しようとしていた事が窺える。そして、実際、18年の教科書改訂につながった。これは「習近平派」が一時、党内で優勢になった結果ではないだろうか。
 ところが、翌19年には、「反習近平派」(その中心は李克強首相)が徐々に巻き返し、今年20年には、以前の「文革」評価に戻っている。これは、18年~19年にかけて「反習派」が党内で支配的になった事を物語るのではないか。
 だからと言って、軽々に、「反習派」が共産党全体を牛耳っているとは決めつけられないだろう。習近平主席が依然、軍・武装警察・公安等を掌握しているからである。
 ただし、いつ習主席に対するクーデターが起きても不思議ではない状況にある。直近では、今年3月、郭伯雄の息子、郭正鋼がクーデターを起こしたと伝えられている。
 それにしても、中国共産党は、一度、「文革」を明確に否定しておきながら、習主席に再び「文革」発動を許すというのは、どういう訳だろうか。中国では、未だ普通選挙の実施等、民主主義が作動していないという“悲劇”かもしれない。