「国民投票法改正案、衆院通過」
―「反対」する共産党と、見えにくい野党の思惑―

.

会長・政治評論家 屋山太郎

 国民投票法改正案が衆院を通過した。日本共産党だけが原案に反対したが、この「反対」には本体の憲法改正を先延ばしにする狙いがある。改正案自体は国民投票の手続きを決める事務的手続き法である。ところが条文にCM規制などについて「3年をめどに必要な法制上の措置を講ずる」とあるのが曲者なのだ。CM手続きの方法に難癖をつけていれば、少なくとも3年間は憲法改正に着手しない理由が立つ。いやCMについてゴネまくれば今後何十年も憲法改正に取り掛かれないことになる。こういう思惑があったから、国民投票法改正案がすんなり採択された。
 投票結果だけ見ると「反対」は共産党のみである。それでは共産党が改憲に「イエス」と言えば全会一致で憲法改正が成るかと言えば「ノー」である。立憲民主党の中には共産党同様の改正反対派が存在するが、はっきり表現しない方が立憲の得になると計算する輩が多いのだ。
 世論の大勢は憲法改正に傾いている。共産党員が夢想する社会主義・共産主義社会はどういうものか。共産党員自身が理解不能となっているのではないか。描いている社会は福祉・年金の行き届いている国か。そういう国は民主主義を通じて、そこそこ出来上っている。現在行われている自民党の民主主義と共産党の揚げる社会・共産主義の違いはどこか。
 共産党が意味なくしがみついているのが「共産党」という名前だ。これには骨董的価値もあるのだが、この名前によって権威付けられるのは民主集中制と言われる共産党独特の党運営手法である。宮本顕治委員長の時代にその民主集中制の中身を公開するというので、立川の会場に取材に行ったことがある。現在の投票法は知らないが、当時は議題についての賛否は右手に座る人が投票記帳のようなものを持っていて、まず自分が賛成と書いて左隣に渡す。その次の人もその次の人も同じ作業をするのだが、一人でも「反対」と書けば歴然と分かる仕組みである。民主集中制によって立候補者も選ばれ、たった一人が投票にかけられていた。現在の志位和夫主席は2000年から委員長だが、それ以前の10年間は書記局長だった。これではプーチン体制と同様の独裁政党に他ならない。
 イタリア共産党は西側最大の政党と言われ最盛期の70年代は170万人の党員を抱えた。80年代には1984年のEC議会選挙で33%の議席を占めた。党大会は書記長を選ぶのだが、勿論、複数立候補を認め、議題は立候補者自身が提起する。この党首公選と言い仕組みは伊共産党を開放的にしていた。勝った書記長は落選した候補者を拒否する冷たさも目撃したが、それだけ議論が白熱するということだろう。
 共産党中央委員会(約400人)に「党の解党」という議題を秘かに根回ししたのは最後の幹事長となったアキレオッケット氏である。当時議会で議論していた国民福祉法と共産党の言う年金法は「構造的に同じだ」というのが、解党の理由である。日本共産党には大局観で自党の解散を言い出す者はいないのだろうか。政党再編につながる動きになるのは必至なのだが。
(令和3年5月19日付静岡新聞『論壇』より転載)