「衆院選の総括」
―自公の安定多数と維新躍進/立・共共闘の果ての議席減―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 第49回衆院選で自民党は単独で総定数465の過半数(233)を28議席上回った。公明なしで絶対安定多数(261)も確保した。自民は14議席減らしたが、維新が11から41議席へ。あおりを食った立民は110から14議席減らして96へ。自民は敵対的野党に敗れたとは言えない。2012年以来、安倍政権は衆院選3勝、参院選3勝と続けてきたが、岸田内閣で7勝目を数えた。自民政治が10年支持されているということだ。
 今回の選挙の焦点は、立民と共産が組んだ点にある。正式に組んだと聞いて、連合の中には立民支持を取りやめたところもある。共産党は1選挙区に2万人近くの支持者がいるという。共産だけでは当選できないから、立民や国民を支持して2万票の下駄を履かせれば当選可能となる。そのためには共産党の立候補者を取り下げる“取引”が必要だ。普通の政党ならこういう取引を行うのは普通だが、今回は、なぜ非難されねばならないか。
 東西冷戦中の1966年、ローマで社会主義インターの大会が行われた。世界中の社会党が集まる大集会である。日本からは社会党と民社党が別々に参加した。休憩中、オットー・ピーターマンという有名な議長が記者席に入ってきて私に「日本社会党に加入の資格はないんだ、と伝えておいてくれ」というのである。理由を尋ねると「社会主義インターは民主主義を守る集団で、共産党と組む政党は加入する資格がないのだ」という。
 アメリカでもスイスでも政党結成の自由を保障されているが、冷戦下、共産党の存在が許されなくなった時期がある。その理由はどちらも「民主主義、自由主義は国家の目標であって、その自由主義を潰すことを目的とする政党の存在を許すわけにはいかない」というものだった。
 かつての日本社会党は、常時、社共共闘をとなえていたが、小さな共産党が大きな社会党を小突き回すように使っていた。
 共産党が独裁的指令を行えるのに対して、民主主義的政党の意見集約は常にモタモタする。これは党が独裁的か民主主義的か、の基本の違いに由来する。イタリア共産党は独裁制を克服しようと、党名を変更して左翼民主党と名乗り、党の運営も民主制に変えた。
 立民の枝野代表は「自分は何もしないのに、候補者共闘を共産党の志位委員長が勝手にやった」と言わんばかりだ。日米安保破棄が原則の党となぜ組めるのか。この陰謀のごとき手法が13議席減を招いたと知るべきだ。
 志位氏は民主主義とは縁遠い政党を続けていることを、枝野氏はそのような政党と組み、同僚を減らした罪を自覚すべきだ。9月のドイツの連邦議会選挙(総選挙)は7つの党が議席を分けた。どういう党の連立になるのか、何ヵ月もかかるのが常だが、どの党も参加できる資格も可能性もある。枝野氏のように「野党は立・共のみで維新は向こう側」などというのは共産党的思考でしかない。
(令和3年11月3日付静岡新聞『論壇』より転載)