安倍晋三氏と岸田文雄氏の違い

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顧問・麗澤大学特別教授 古森義久

 安倍晋三元首相に話を聞いた。その結果は対談として月刊雑誌の「正論」7月号に掲載された。対談のタイトルは「いまこそ9条語るべき」とされた。1時間以上にわたるこの対談では安倍氏は憲法から安全保障、国際情勢まで多岐にわたり、詳細に語った。
 その内容の要点を紹介する前に、明記しておかねばならない点がある。それはこの対談が実は安倍氏がこの日本戦略研究フォーラムの最高顧問にこのほど就任したことを記念して、当フォーラム会長の屋山太郎氏が実施するはずだった。屋山会長は安倍氏とは旧知であり、同氏の父上の安倍晋太郎氏とも緊密な交流があった。だから非常に内容の豊かな対談が実現するはずだった。
 ところが屋山会長が突然、体調を崩し、予定が変わり、私が僭越ながら当フォーラム顧問として代理を務めることになったのである。
 しかし私も毎日新聞政治部の記者だった時代から安倍晋三氏との知己は長かった。とはいえ屋山会長の代理だから、この対談では冒頭から屋山氏が提起していた質問をまず安倍氏にぶつけた。それは安倍氏がアメリカのトランプ、バイデン両政権が打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」という構想をその原案者としてどのように思いついたか、という問いだった。周知のようにこの構想は安倍氏が最初に主唱したのをアメリカ側が継承し、拡大したのだ。
 安倍氏の答えは次のような趣旨だった。
 「小泉政権の最後の時期、私は後継の自民党総裁候補の1人として当時、行き詰っていた日中関係、日韓関係をどうすべきかを真剣に考え、とくに日中については視野狭窄の二国間関係ではなく、広い地域からみて改善すべきだと感じ、中国とほぼ同じ人口の民主主義国のインドを含めようと判断したのです」
 
 しかしこの対談全体では安倍氏が最も熱をこめて語ったのは、やはり憲法改正という課題だった。私自身がアメリカ占領軍下で日本国憲法草案を書いた実務責任者チャールズ・ケーディス陸軍大佐(当時)に戦後、長時間インタビューして、往時の拙速な占領軍による憲法作りの実態を聞いた体験からの感想を語った。当時のアメリカ側の日本国憲法の最大の狙いは「日本を永遠に非武装にしておくことだった」とケーディス氏は率直に述べていたから、そもそも日本を普通の主権国家ではない半国家に抑え込んでおくことが目標だったのだ。
 そんな話をすると、安倍氏はケーディス氏の当時の動きをよく知っていた。そして改めて、憲法改正の必要を強調し、その理由として3点をあげた。第一は、日本憲法は疑いなくアメリカ占領軍によって作られたのだから、日本国民が改めて自分たちで作るべきだ、という点だった。第二はいまの憲法はあまりに古くなり、いまの時代に合わなくなった条文がある、という点である。そして第三は自分たちの手で憲法を書き上げるという精神こそが日本の新しい時代を切り拓く、という点だった。
 安倍氏は憲法について語るとき、作成者のケーディス氏の個人的な動向や戦後の生活についてまでよく知っていた。そして緊急事態宣言などいまの憲法には規定のない欠陥部分を指摘して、詳細かつ、わかりやすく説明していった。
 そのほか憲法と日本の防衛のズレについても集団的自衛権への制限に関して、みずから主導して成立させた平和安保法制の効用を一方で認め、他方でなお残る障壁について、これまた詳しく見解を述べていった。
 安倍氏はこうした日本にとっての古くて新しい諸課題をきわめて詳細に説きながら、資料やメモの類は一切、使わず、私の方を正面から見たままで語り続けた。まさに自分の知識や発想をそのまま自分の言葉で表現してぶつける、という態度なのだ。これほど以前の、これほど複雑な物事の経緯をよく覚えているものだと感嘆させられた。
 たとえば私自身との初顔合わせについても安倍氏が41年前に父親の晋太郎氏の外相秘書官として外務省にやってきた直後の勉強会だった、などという回想がさらりと出てくるのだ。その時期に毎日新聞記者だった私がアメリカでエドウィン・ライシャワー元駐日大使にインタビューして、米海軍艦艇は核兵器を搭載したまま日本の領海や港に入っており、日本の非核三原則にはウソがあるという言明を引き出して報道し、日米間で大騒ぎとなったときの外務省の反応も安倍氏はよく覚えていて、淡々と語ってくれた。もちろんメモなし、台本なしの言葉だった。
 政治家が世間に向けて記録に残る発言を自分の言葉だけで語り続ける。この安倍氏の言動を目前にして、私がつい連想したのは岸田文雄首相の公開の場での発言ぶりだった。あまりにも差異が大きいからである。岸田首相は国会での発言はもちろん記者への短いコメントも、質疑応答での回答も、あるいは外国の代表たちとの対面の会談でも、手にした紙を必ず読んでいる。
 もちろん現職の総理大臣が国会、その他の公式な場で発言する場合には慎重には慎重を期さねばならない。ちょっとした失言や放言が命取りともなりかねない。現職の首相はとくに重大で複雑な政策を発表することも多いから、準備した草稿を読むことが必須という場合も多いだろう。
 だがそのあたりを考慮しても岸田首相の棒読み発言は徹底している。小さな短い発言でも側近や官僚が書いた台本を読んでいるのだ。北海道で観光船が沈んだ事故でも岸田首相は被害者への同情を述べるだけの最初の発言でも台本を読んでいた。自分自身、つまり日本国総理大臣が自分で感じ、自分で思うことを自然に言葉にする、という気配はまったくなかった。
 外交でも同様である。岸田首相がローマ法王と会談した際、短時間の儀礼的な顔合わせで、高齢の法王は丸いテーブルに座り、なんの台本も持たず、置かず、直接に岸田首相に語りかけていた。しかも岸田首相をいかにも歓迎するように身を乗り出して、岸田首相をまっすぐに見つめながら発言していた。だが岸田首相は片手にしっかりと白い紙を握りしめ、それを読んで発言していた。
 岸田首相のイギリスのボリス・ジョンソン首相との会談も同様だった。一対一のこの会談ではジョンソン首相は持ち前の開放的なスタイルで笑顔いっぱい、岸田首相への友好を十二分に示しながら、自分自身の言葉で簡単な声明を述べ、語りかけていた。だが岸田首相はテーブルの少し下に白い紙を持ち、それを読みながら応じていた。外国首脳のその自然な発言と日本の首相の堅苦しい棒読みとは対照的だった。
 それでもなお現職の首相となお現職の国会議員とはいえ首相の座を降りた政治家と、発言の方法に差があるのは当然だという反論はあるだろう。比較自体が不公平だという意見もあろう。だが自分の思考や感情をすべて他者が事前に書いた文章の朗読でしか述べない、述べられない、とすれば、政治家の資質の問題に思えてくる。そもそも他者に対して自分自身の考えを自分自身の言葉で表現できることが政治家の要件なのではないだろうか。安倍晋三氏との対談ではこんなことまで考えさせられた。