フランス社会党の凋落から学ぶ政治教訓

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 今、フランス社会党の凋落に歯止めがかからない。フランス政治の変遷を身近に見てきた者にとっては、実に信じがたい状況である。フランス最大の世論調査機関であるIfopが今月初めに実施した世論調査によれば、社会党に対する支持率は6%まで下落し、来年の欧州議会選挙では議席ゼロになる可能性(得票率が5%を下回る場合)があるという。支持政党の順位でも6番目になり、「緑の党」の後塵すら拝する惨状である。
 フランス社会党と言えば、つい昨年5月までの5年間にわたって大統領(フランソワ・オランド氏)を出していた最大政党であり、フランソワ・ミッテラン大統領の時代(1981-95年)には「社会党員にあらずんば人にあらず」とでも言うべき全盛を誇っていた最強の政治勢力だった。いったい何が起こったのか。
 フランス社会党凋落の原因は多々あるが、その最大のものはオランド大統領の指導力不足によってフランス経済を機能不全に陥らせ、欧州政治における大幅な地位低下を招いたことだろう。警護官を煙にまいて夜な夜な愛人宅に通い続ける姿が写真誌にスクープされるなどのスキャンダルも政治家失格を印象付けた。同じころ、IMF専務理事に転出していた同党の後継大統領候補No.1のドミニク・ストロスカーンが強姦未遂事件を起こして辞任に追い込まれたことも社会党のイメージを決定的に悪化させた。
 フランス社会党の支持基盤は労働組合であるが、労働者に対する行き過ぎた利益擁護の政策が相次ぐストライキに対する弱腰姿勢となり、国民生活に打撃をもたらしただけでなく、企業の国際競争力をも低下させた。国民が離反するのも当然である。
 フランス政治のもう一方の雄である共和党も不人気をかこっている。ドゴール将軍以来の共和主義を標榜する一大政党であり、1995年から2012年までの17年間にわたり「シラク・サルコジ時代」を築いた。しかし、今や、その面影はなく、先の世論調査では支持政党の3番目ではあるものの、支持率では15%ほどに落ち込んでいる。
 極右政党の「国民戦線」は政党イメージを変え、右派勢力を広く取り込むために、今年に入って政党名を「国民連合」に変更したが、その効果は表れていない。世論調査では支持政党の2番目、支持率で20%ほどという状況は昨年の大統領選挙当時とほとんど変化はない。フランス国民の3分の2近くが、同党を「民主主義への脅威」と見ているという別の世論調査結果もある。
 では、現在のフランス政治をけん引する政党はどこかというと、それは昨年5月に就任したマクロン大統領率いる「共和国前進」という新興政党である。社会党・共和党双方の穏健派を取り込んで、今や国民議会の最大勢力になっている。
 しかし、マクロン大統領が就任以来矢継ぎ早に打ち出してきた大胆な改革策は多くの国民にとって痛みを伴うものであり、当然ながら評判は良くない。大統領個人への支持率は就任当初の66%から直近では31%まで急落している。信頼を寄せていた警護官が市民に暴力をふるい、大統領がこれを隠蔽・擁護した「事件」も人気の低下を招いたようだ。しかし、周囲の心配をよそに、大統領自身には世論調査の結果を気にする様子は見られない
 ここ数年のフランス政治を見ていると、政治指導者個人のカリスマ性や指導力などに関わる国民の評価が政党に対する支持や人気に直結していると感じる。その意味で、国民の信頼を得られる有力指導者を持たないフランス社会党が凋落し、消滅の危機にすら瀕しているのは当然と言えば当然である。このことは、日本の政治にとっても全くの他人事とは言えない。かつて自民党に対峙した最大野党の社会党が、政策の混迷と有力指導者の不在によって消滅したのも、そう遠い過去の出来事ではない