澁谷司の「チャイナ・ウォッチ」393
香港「逃亡犯条例」改正案撤回の真実

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2019年)9月4日、香港の林鄭月娥行政長官(以下、キャリー・ラム長官)が、「逃亡犯条例」改正案(以下、「改正案」)を撤回すると発表した。
 これは“青天の霹靂”である。香港政府が「逃亡犯条例」改正反対運動(以下「反送中」運動)に譲歩した形となった。
 周知の如く、この改正案をめぐり、香港では波状的な「反送中」デモが繰り返されている。だが、キャリー・ラム長官は、なかなか事態を収拾できなかった。
 そこで、ラム長官は習近平主席に対し、何度も辞任を申し出た。けれども、習主席は、キャリー・ラム長官の辞任を許さず、長官にデモ収拾を委ねたのである。だが、「反送中」デモは、徐々に過激化していった。
 今回、香港政府による“遅すぎる”「改正案」撤回を民主主義の勝利だと快哉を叫ぶのは早計だろう(結局、デモ側の「民主化」要求等が実現されない限り、おそらくデモは継続するに違いない)。
 この撤回には何か“裏”がありそうである。
 なぜ、今回、キャリー・ラム長官は「改正案」を撤回できたのか。
 無論、中央政府が許諾したからだろう。そうでなければ、ラム長官の一存では撤回できるはずはない。つまり習近平政権が香港政府による「改正案」撤回を認めたのである。
 では、なぜ習政権が「改正案」撤回を認めたのか。
 中国人はことさら面子を重んじる。香港政府の「改正案」撤回は、中国政府にとって“大恥”である。
 その“恥”を忍んでも、「改正案」を撤回するからには、何か他の法案や手段を考えているに違いない。“隙”を見せて、デモ隊の虚を突くつもりか。
 まず、第1に考えられるのは、中国共産党は香港に対し、「改正案」に代わり、更に厳しい法案(中国国内で施行されている「国家安全法」など)を香港政府に押し付ける可能性がある。
 その場合には、キャリー・ラム長官を更迭後、新長官にやらせるつもりではないか。
 または、北京政府は、現在の行政長官を選挙委員会が選出する制度をやめて、中央政府による任命制にするかもしれない。
 あるいは、香港の「1国2制度」を廃止し、香港を北京や上海等と同じ“中央直轄市”にする案も考えられる。そうなると、事実上、“香港の終焉”である。
 確かに、経済的には深圳や上海が伸長し、香港の重要性が低下した。とは言え、依然、香港は中国の玄関口であり、かつ、世界金融の要の1つである。中国共産党が香港を圧殺すれば、自ら多大なる影響を受けるだろう。
 第2として、以下の事が考えられる。
 現在「習近平派」が香港を除く、中国全土の権力を掌握している。ところが、香港は未だ「江沢民派」が牛耳る。そのため、今回ばかりは「習近平派」が「江沢民派」に“敗れた”公算もある。
 夏の北戴河会議では、香港問題をめぐり、「習近平派」(強硬派)と「反習近平派」(穏健派)、それに「中間派」の3グループに分かれ、侃々諤々の議論が展開されたと伝えられている。
 ひょっとすると、穏健派の「反習近平派」が「中間派」を取り込んで多数派を形成し、強硬派の「習近平派」を抑え込んだのかもしれない。
 この仮説が正しいとすれば、習近平主席の党内での求心力が急速に低下している証しではないか。
 では、なぜ「習近平派」が“負けた”のだろうか。
 仮に、北京政府が、香港で「第2次天安門事件」を起こしたら最後、西側からの経済制裁でいよいよ中国経済が破綻するかもしれない。そうでなくても、「米中貿易戦争」で中国の景気は悪化の一途をたどっている。
 事によると、中国経済の破綻は、中国共産党政権の崩壊に繋がるかもしれない。共産党幹部らは、その点を恐れているのではないか。
 また「第2次天安門事件」後に、必ずやトランプ政権によって中国共産党幹部の米国資産は凍結されるだろう。
 場合によっては、英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなど“エシュロン5ヶ国”がこぞって中国共産党幹部の資産を凍結しないとも限らない。中国共産党幹部らは、共産党政権が崩壊した際の逃亡に備え、それらの国々に資産を移している公算が大きい。
 だからこそ、北京政府としては、簡単には香港で「第2次天安門事件」を起こすわけには行かないのだろう。
 そうは言っても、「民主化」を嫌い、力を信奉する中国共産党は、最終的に、香港の「民主化」を粉砕する可能性も捨て切れない。
 香港情勢は未だ不透明である。