澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -112-
マカオでの抗議デモと当地の景気悪化

.

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 最近、マカオの行政長官、崔世安がマカオ基金会を通じて、中国広州曁南大学へ1億人民元(約17億円)を寄付すると発表した。崔世安は、同大学理事会の副理事長を務めている。明らかに“利益相反”の行為ではないか。
 今年5月15日、「新澳門学社」が、崔世安に対する抗議デモを敢行した。主催者側の発表では約3300人、マカオ当局の発表では約1100人がデモに参加している。「新澳門学社」とは中国の「6・4天安門事件」後の1992年7月に結成された民主派グループである。
 デモ隊は、「崔世安は辞任せよ」とのプラカードを掲げた。さらに、崔世安の大きな顔写真(崔の額には「自肥」と書かれている)を持って行進した。

 ちょうど2年前、ある法案(「離職保障法案」)をめぐってマカオは揺れていた。その法案が通過すると、行政長官は5年務めれば、引退後、現職時の70%の報酬を受け取ることができる。そして、在任中に行った事に関しては刑事訴追を受けない。行政長官だけでなくマカオ政府高官も、それに準ずるとされた。
 2014年5月25日、同法案に反対する約2万人が参加する大規模な抗議デモが行われた。1999年12月、マカオがポルトガルから中国へ返還されて以来、最大のデモである。2日後の5月27日、今度は約7000人がマカオ立法会を取り囲んだ。結局、その2日後の29日、崔世安も同法案を撤回せざるを得なくなっている。
 今回は、2年前のデモに比べ、規模が小さいので、今後、どのような展開を見せるのか予測がつかない。
 「マカオ3大家族」の一つ、崔家の崔世安は、中国全国政治協商会議副主席となった霍英東の姪 霍慧芬と結婚している。霍英東は水上居民出身だが、香港・マカオで活躍したスタンレー・ホー(何鴻燊)とマカオのカジノ経営で大儲けした。

 さて、マカオが中国へ返還された後、何厚鋒が初代マカオ行政長官となった。長官の任期は5年で、2期まで務めることができる。選挙委員会による行政長官選挙では、過半数を獲得すれば当選となる。
 1999年、初めての行政長官選挙の際、9人が立候補した。資格審査で候補者が5人に絞られている。だが、正式に出馬するためには、200人の選挙委員会中(各界の代表)20人以上の推薦が必要だったため、何厚鋒と区宗傑、二人の争いとなった。結局、何厚鋒が区宗傑を大差(得票率81.9%)で破った。
 2004年の行政長官選挙では、何厚鋒は選挙委員会300人のうち297人から推薦を受けた。本選へ進むためには、300人の選挙委員会中、50人の推薦が必要である。そこで、何は単独候補となり、得票率99%で再選を果たしている。
 2009年の行政長官選挙では、崔世安の他、4人が立候補した。崔世安は選挙委員会286のメンバーから推薦を受けた。そのため、他の候補が本選に臨めず単独候補となり、95.3%の得票率で当選した。
 2014年の行政長官選挙は、選挙委員会は400人に増やされた(推薦者は66人以上が必要)。崔世安の他に候補者が現れず、やはり崔が単独候補となった。そして、崔世安は96.0%の得票率で再選されている。
 ちなみに、マカオは香港と異なり、最終的に一人一票の「普通選挙」を導入することが、未だ決定されていない。

 話は変わるが、この小さなマカオは、中国経済を映す鏡である。マカオのGDPは、中国の景気を示す有力なバロメーターと言っても過言ではない。
 中国の党・政府・国有企業の高官および中国人大富豪らが、マカオのカジノに遊びにやって来る。マカオ経済は約60%がカジノに依存する。彼らは経済的余裕がなければ、マカオには来ない。
 歴史を振り返ると、2008年9月に起きた「リーマン・ショック」を境にして、好調だったマカオ経済は悪化した。2008年第4四半期から翌09年の第2四半期(10月-6月)の3季連続マイナス成長となっている(その際マイナス10%か、それ未満まで落ち込んだ)。だが、翌09年第3四半期(7-9月)から、マカオのGDPはプラスに転じた。
 特に、2010年第2四半期(4-6月)のGDPは30%を超えた。その後、マカオは順調にGDPを成長させている。
 けれども、2014年第3四半期(7-9月)から、GDPが再びマイナスに陥った。とりわけ、2015年の第1四半期から第3四半期(1-9月)までのGDPは、マイナス20%を超えた。6四半期(1年半)連続のマイナス成長である。
 いくら習近平政権が「贅沢禁止令」(2012年12月の“習8条”)を出したからと言って、マカオ経済の落ち込みは異常だろう。おそらく、これが中国経済の実態に近いと思われる。