民共はなぜ新安保法の廃止なのか
―9条信仰の裏側を見る―

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会長・政治評論家 屋山太郎

今回の参議院選挙で憲法改正派の安倍晋三首相は「できれば3分の2議席をとりたい」というのに対して、岡田克也民進党代表、志位和夫共産党委員長は「何としても3分の1以上を押さえなければならない」と力んでいる。与野党とも「憲法改正は直接の選挙のテーマではない」と言いつつ、与党は3分の2を狙い、片方は3分の1以上を狙う。選挙戦ではアベノミクスの是否がテーマになっているが、その向こう側では憲法改正を巡って議席の勘定に必死なのである。与党は自公とおおさか維新の会で3分の2を占めた時点で、憲法改正の論議を始めたいと目論んでいるようだ。民進と共産の側は、その際、絶対に譲れぬものは新安保法だという。
 日本の国防論議で、世界に全く理解されないのは「第9条があるから平和である」という論理だ。目前に敵対的武装勢力が現れれば、武力行使も辞さずと身構えるのが、普通の人間感情である。いや、こちらが武力を持てば相手が挑発されて武力を持つ。したがって日本社会党は初めから非武装・中立の方がよいと主張した。この論理からいくと、安保法などは、防衛と称して事態を一層悪くしていると、攻撃の対象となる。
 この倒錯した論理がどこから出てきたかを探らないと問題の本質は理解できない。
 戦後日本共産党は徳田球一氏がソ連(現ロシア)から資金と「コミンテルン日本支部」の指令書を貰ってスタートした。あくまで「日本支部」の地位だから、ソ連共産党の「中国と日本に革命を起こせ」という指令は絶対のものだった。
 日本社会党は「非武装・中立」を打ち出し、日本共産党は「自衛・中立」を打ち出した。社会党の石橋政嗣委員長は自著の「非武装・中立論」の中で、敵に攻められたら「占領されたのち、外交交渉で生き残る手段も探す」と説いた。共産党の「自衛・中立」の自衛は日本の自衛隊のことではない。自衛隊は解体し、共産党の軍隊を作るというのが本心である。両党とも自衛隊を認めないことでは共通しており、仙谷由人氏(元官房長官)は自衛隊を「暴力装置」と呼んで取り消した。共産党の藤野保史政策委員長は防衛予算について「人殺し予算」と呼んで更迭された。部外者には驚きだが「暴力装置」も「人殺し」も身についた“社内用語”がつい飛び出したのである。
 民進党には旧社会党、社民党の残党が流れ込み保守派と対立している。岡田代表は旧社会党勢力に重心を置いているが、保守派は岡田後を展望している。今回の選挙に当たり、一人選挙区で共産党は独自候補を香川県を除いて取り下げた。当選した人たちは民進党に入ってくるはずだが、次の選挙を考えると共産党の意向には逆らえないと共産党は見ているのだろう。「しんぶん赤旗」の売り上げも、党員数も落ちている。この中で党勢挽回の大技をかけた志位戦略が当たるかどうか。共産党は並みの政党ではなく「結社」だから、団結心は強いが、国民の愛国心が高まると、この思想は弱まるのではないか。
                                                                                                       (平成28年7月6日付静岡新聞『論壇』より転載)