澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -134-
中国で発生した度重なる大水害

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年7月3日、太平洋に台風1号(「ニパルタック」)が発生した。900ヘクトパスカルという超大型の台風だった。
 台風の中心付近の最大風速は60メートル、最大瞬間風速は85メートルにも及んだ。例年、東アジアにやってくる台風1号で、これほど巨大なモノはかつてなかったという。また、観測史上(1951年に開始)、時期的に2番目に遅く発生している。
 台風1号は、同月8日、現地時間5時50分頃、台湾の台東県太麻里郷に上陸した。そのため、台湾では、死者1人・負傷者132人が出た。特に、被害が大きかったのは、台東市、緑島、蘭嶼である。木が倒れ、家屋を破壊し、看板が吹き飛んだ。
 その後、台風1号は、東から西へと台湾を横断した。まもなく台風の勢力は衰え、熱帯性低気圧に変わり、台湾対岸の中国福建省へ到達した。
 実は、7月10日、その熱帯性低気圧により、福建省福州市では大洪水が発生した。だが、地方政府は、熱帯性低気圧を甘く見ていたのか、洪水警戒警報を出さなかった。また、洪水への対策を何も取らなかったのである。
 だから、洪水発生直前まで、生徒らは学校で授業を受けていた。また、商店はいつも通り店を開けていたのである。現地の人々が、洪水に気付いた時には、たちまち水かさが増して、すでにどうしようもない状況だった。
 中でも、福州市閩清県は被害が甚大で、当局は死亡人数を11人と公表した。しかし、ネット・ユーザーらは同県塘阪村だけで40人以上が死亡し、2日で700から800の遺体が焼却されたと報告している。したがって、もしネット・ユーザーが正しければ、閩清県全体の死者数は1000人以上と推察できよう。
 一方、今年6月30日から7月上旬にかけて、揚子江流域の集中豪雨により、10省市(湖北省、安徽省、湖南省、重慶市、四川省など)の625県・区大水害に遭い、約4900万人が被災した。
 長江洪水防止・干ばつ対策指揮部によれば、10日までに万人が被災者は約4919万人、倒壊家屋は約11万戸、死者は161人、行方不明者は61人となっている。
 とりわけ、湖北省は一番被害が大きく、17市、80県で約1163万人の被災者を出した。同省武漢市では、約1.5メートルの高さまで街が水没している。
 おそらく、三峡ダム(湖北省宜昌市)と今回の大水害は関係があるかもしれない。1993年、三峡ダム建設が着工された(翌年12月、正式着工)。そして、2009年、発電所(中国全体の約10%を供給)を含む、全部の工程が完成している。
 以前は、3000トン級の船舶しか長江を遡ることができなかった。けれども、ダムが完成したので、1万トン級の大型船舶まで航行が可能になった。
 ただし、よく知られているように、ダム建設のため、100万人以上が他への移住を余儀なくされている。
 米国在住の中国研究者、何清漣によれば、当初、三峡ダムに期待されたのは、第1に、発電であり、第2に、下流の水量を有効にコントロールできるという点だった。
 ところが、いざ三峡ダムができ上がってみると、下流が干ばつの際、ダムには貯水が必要となる。そのため、下流で水争いが起きた。逆に、下流が水害に遭った時、ダムは放水が必要で、かえって下流の被災はひどくなっているという。
 実際、今回、7月1日の時点で、一部の貯水系統部門は、排水門を開けた。その結果、今年の大水害は、1998年に起きた長江大洪水よりも被害が甚大となっている。
 他方、現在、すでに三峡ダムがあまり機能していないとの見方もある。上流から流れて来た土砂がダム付近で堆積した。そのためか、長江では豪雨があると、必ず水害が発生する。また、三峡ダムには、汚染物質やゴミが上流(特に、重慶市)から流れて来て、環境破壊を起こしている。
 三峡ダム建設を推し進めたのは、当時の江沢民国家主席と李鵬首相である。大プロジェクトのため、共産党内部でも一部反対する勢力があった。ダムのメンテナンスを請け負う三峡集団(江沢民・李鵬系)は、腐敗が激しいと言われる。
 今回の湖北省中心にした大水害は、「太子党」(習近平主席中心)と「上海閥」(江沢民系)の党内闘争を更に激化させるだろう。ちなみに、江元主席の息子の江綿恒がすでに軟禁状態だと伝えられている。