澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -170-
医師を殺害する中国モンスターペイシェント

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政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 中国では、今年(2016年)、現在に至るまで、医療トラブルで3件の医師殺害事件が起きている。事件の容疑者らは、モンスターペイシェント(患者)か、その遺族である。
 まず、5月7日、広東省人民病院口腔科の元行政主任、陳仲偉が亡くなった(享年60歳)。同月5日、陳は在宅中に襲われ、全身30ヶ所も刺された。
 広州市公安局は、容疑者は劉という姓(男47歳、広州市)の男で、ビルから投身自殺したと発表した。かつて陳は、劉に顎の骨を削る手術を行った。劉は、歯が変色したとして、以前から病院に対し賠償を求めていたのである。陳は多くの患者から慕われ、多くの市民が陳の死を悼んだ。
 次に、7月21日、河北省衡水市第四病院で殺人事件が発生し、医師が診療室内で殺害された。容疑者の李剛は事件現場から逃走したが、翌日、警察に捕まっている。
 殺害された医師は、劉広躍(享年57歳)という。中国医学整骨科の主任で、整骨科で30年あまり働いてきた。劉は、骨折等の治療に長けていた。
 事件当日夜7時頃、劉の妻は夫が家に戻らないので、病院へ行った。そこで、妻は劉が殺害されたことを発見した。劉は首から出血し、失血死したと見られる。劉は性格が温厚で、同僚に対しても患者に対しても、いつも微笑んでいたという。
 実は、2003年、李剛は自動車事故に遭い、第四病院で治療を受けたが、右足に障害が残った。これを恨んでの犯行だったと見られる。
 そして、10月3日、山東省莱蕪市の莱蕪鋼鉄集団病院の小児科医、李宝華(享年34歳。妻は看護師)は、患者の家族に刃物で15ヶ所刺され、亡くなっている。前日、李は夜勤の当直だった。
 元々患者は子供だったが、李らの治療の甲斐もなく、死亡した。遺族はその恨みを晴らそうとして、李を襲ったのである。容疑者は直ぐに警察に捕まった。
 さて、2009年6月に起きた医療トラブルを巡る福建省南平市事件は有名である。
 養豚業を営む楊俊斌(享年50歳)は腎結石を患い、南平市第一病院へ入院した。楊の手術は成功裏に終わった。だが、間もなく楊は苦しみ出し、死亡している。
 遺族らは主治医らに詰め寄り、なぜ楊が亡くなったのか説明を求め、且つ、遺体の引き取りを拒んだ。遺族らは、病院側に賠償金を求めたが、両者は折り合わなかった。
 第一病院では、院内の専門家を集め、病状と治療過程を話し合った。だが、病院側としては、落ち度はなく、楊の死亡原因は不明と結論を出した。
 遺族の家族や関係者、約50人が棍棒や刀を持って病院へ行き、10人余りの医療従事者を襲ったのである。病院のスタッフは重軽傷を負った。
 その後、南平市党委員会と同市政府は、トラブル解決のための臨時チームを派遣し、病院側と遺族側両者の和解にあたった。
 そして、人道の観点から、病院側が5万元(約80万円)、太平鎮政府が16万元(約256万円)、合計21万元(約336万円)を遺族側に支払うとした。一方、遺族側は医療費の不足分として、病院側に6000元(約9万6000円)支払うことで合意している。
 ところで、中国の医師専門ネット「丁香園」は「中国の医師から見た医療トラブル」というテーマで、6287人の医師から回答を得ている。
 その調査結果によれば、医師にとっての医療トラブルは広範に亘る。医師らは、暴言、監禁、殴打されるだけでなく、遺体の引き取りを拒否されたり、病院のモノを壊されたりして、病院の正常な機能を妨げられている(一部の医師は、巨額の賠償請求されるのも医療トラブルと考えている)。
 そして、過去3年間で、医師本人若しくは同僚が5回以上医療トラブルに巻き込まれた人は、53%に上るという。
 結局、全体の96%の医師が職場で医療トラブルが発生したと回答している。僅か4%の医師が医療トラブルと無縁だったという。
 翻って、我が国のモンスターペイシェントはどうだろうか。実態は、中国と似ている。しかし、日本でモンスターペイシェント(とその遺族)が医師を殺害した例は未だないのではないか。
 医療従事者向けの情報サービスサイトを運営する「ケアネット」が、一般病院に勤務する会員の医師1000人に行った調査によれば、70.7%の医師が「モンスターペイシェント」に悩まされたことがあると回答している(『NEWSポストセブン』2013年2月22日)。
 医療スタッフに対するクレーム(60.5%)から、「訴える」・「刺す」などといった脅迫(27.6%)、暴力(16.2%)、土下座等、度を越した謝罪要求(11.3%)まで医療トラブルが頻発している。