澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -173-
賈敬龍死刑執行のその後

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2016年)11月15日、河北省石家庄市北高営新村の村民、賈敬龍の死刑が執行された。
 2013年、18日後に結婚を控えていた賈敬龍は、実家からの強制立ち退きを迫られた。賈は体を張って抵抗したが、当局のショベルカーであえなく家は解体されている。
 2015年2月、賈敬龍は何村長を恨み、釘打ち機を銃のように改造して殺した。
 同年11月、地裁で裁判が開かれ、賈敬龍に死刑判決が言い渡された。すぐさま賈は上告したが、高裁は一審判決を支持している。
 中国世論および中国法曹界は賈敬龍に対して同情的だった。だが、結局、一審の死刑判決が覆ることはなかった。
 普通であれば、“賈敬龍ストーリー”は、これで終了である。ところが、そのストーリーには後日談があった。
 周知のように、ある犯罪が起きると、しばしば模倣犯が現れる。けれども、今回のケースは、単なる模倣犯とは言い難い。
 まず、第1に、賈敬龍が死刑に処された翌11月16日、“賈ストーリー”と酷似した事件が起きた。
 同日午後6時頃、陕西省延長県七里村鎮曹渠村で、曹英海村長が、村民の黒延平に殺害された。同時に、曹村長の家族は、4人が死亡し、4人が重傷を負った。以前から、黒延平と曹村長は、村の土地補償問題で揉めていたのである。
 当日、曹村長の娘の結婚披露宴が行われていた。黒延平は、持っていた刀で犯行に及んだ。そのため、幼い子供ら(1歳と3歳)も巻き添えになっている。
 第2に、 同月18日深夜1時30分頃、今度は山西省長治市屯留県西賈郷茶棚村で事件が起きた。茶棚村副村長の趙雲飛一家5人(夫妻と子供3人)が村民の馮建崗によって皆殺しにされた。
 以前から、趙副村長と馮はトラブルを抱えていたという。そして、馮は、趙副村長を恨んでいた。事件前日の17日にも、2人は衝突し、馮建崗は、趙副村長に殴られたのである。それが、直接、馮の犯行の引き金となったと思われる。
 第3に、翌19日午後3時頃、広西省博白県双鳳鎮鎮北村沙垌隊で、1人が死亡、2人が負傷するという事件が発生した。
 容疑者の胡名忠(54歳)が胡育旺(49歳)と、たまたま胡暁平の家の門で、村道と真向いの農作物を植える件で揉めていた。
 村長の陳家威(72歳)は、そのトラブルを調査して解決しようとしていた。
 その時、胡名忠が刀を持ち出し、陳村長、胡育旺、胡暁平の妻(黄雁)の3人を斬りつけた。結局、陳村長は死亡している。
 胡名忠は家に戻り、服毒自殺しようとしたが、病院へ運ばれ、一命を取り止めたという。
 第4に、更に翌20日午後7時50分頃、湖南省耒陽市大和圩郷陡岭村で、雷秀保(46歳)が、村の組長の羅才達(67歳)、および雷秀文(51歳)、劉津承(50歳)を殺害し、逃亡した。
 雷秀保には、10万元(約160万円)懸賞金がかけられた。今のところ、事件の詳細は不明である。
 実は、当初、警察当局は羅才達の身分を隠していた。おそらく、村の役人殺しが全国に連鎖・波及するのを恐れたのかもしれない。
 賈敬龍が死刑になってわずか1週間も経たないのに、中国大陸では、“賈ストーリー”と似た4つの殺人事件が起きた。まるで中国共産党の基層幹部に対する“報復運動”が起きている観がある。
 一方、11月19日、全国各地から人権派弁護士ら100人近く(唐新波、陳忠、陳巧玲、陳秀蓮、楊徳華、劉慶蘭、劉宝成、王超、王清臣、趙淑杰、趙振甲羅、趙克鳳ら)が北京市豊台に集結した。そして、暴力やマフィアと闘い、極刑に処された“英雄”、賈敬龍の死を悼んだ。
 また、彼らは「警察の迫害、検察の庇護、裁判所の法のねじ曲げ等、北京と地方の司法の腐敗は繋がっている」と書いた横断幕を掲げた。そして、当局が実施した賈の死刑に対し、不満と怒りを表明している。
 しかし、中国共産党にとっては、賈敬龍は村長を殺害した殺人犯に過ぎない。当局は、賈の家の解体も石家庄市政府の承認を経て「合法的手続き」で行われたとしている。
 賈敬龍らの一連の事件を見ると、現在、習近平政権の推し進める「反腐敗運動」(トラもハエも一緒に叩く)が、郷鎮レベルの末端まで行き届いていないことが分かる。一般庶民の願いとしては、習主席にハエを徹底的に叩いて欲しいのである。だが、それが叶わないので、庶民自らが村の役人を殺害するという極端な行動に出ているのだろう。