毅然とした安倍外交が奏功
―価値観を共有する主要国+αとの連携不可欠―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 安倍外交は国際的に高い評価を受けているが、戦後、日本が国際舞台に踊り出たのは初めてではないか。その理由はG7のメンバーが交代期に当たったとか、安倍政権が4年もの長期政権を誇り、なお4~5年の任期があるといった理由だけではない。
 変貌する世界にうまく対応している日本外交に各国が安心感を持っていることが大きい。トランプ氏が大統領当選後10日目に安倍氏と会談したことは、「外交政策を考えるに当たって、この人物の話を聞いておこう」と考えたからだろう。
 安倍外交が歴代自民党内閣の中で、際立つのは対中国外交だろう。戦後の日本外交が“失敗策”と言われるのは、どこの国にもいい顔をしようという八方美人を狙ったからだ。その典型が三木武夫首相で、米ソが冷戦で厳しく対立している中で、ソ連にもいい顔をしようという“等距離外交”を唱えた。米国にとっては日本と安全保障同盟を組んでいる意味がなくなる。
 次の大きな誤りは対中国、対韓国外交でその大失敗の元祖は宏池会だろう。吉田茂氏の経済重視政策は“吉田ドクトリン”と言われ、池田隼人、大平正芳、鈴木善幸各首相や河野洋平、宮沢喜一氏ら宏池会の面々に引き継がれた。これは軍事力なしで中国と仲良くするには、ひたすら頭を下げていれば良いという“単細胞”外交に他ならない。加藤紘一氏などは「日米中の正三角形」外交を唱えた。
 日韓条約は1965年に結ばれ、その際、日本は韓国に経済協力資金として無償3億ドル、有償2億ドルを供与した。当時の韓国の年間予算は3.5億ドルで、日本の外貨準備高が18億ドルだったことを考えると、途方もない高額である。両国の請求権問題はこれによって「完全かつ最終的に解決された」と文書化した。ところが鈴木内閣になると「金額が足りなかった」とか慰安婦への補償がなかったと言い出す。これに応えるため河野洋平官房長官(当時)は、追加の謝罪金を出させたほか、公的に謝罪してしまった。慰安婦は当時、公認の職業だった。強制的に連行したとか料金を支払わなかったとしても、損害を要求するなら自国政府がすべきものである。ところが河野氏は談話によって謝罪し、カネを払ってしまったのである。後に強制も不払いもないことが判明する。このため安倍首相は米国を証人として朴槿恵大統領との間で「10億円を払う代わりに不可逆的に解決する」と釘を刺し、問題の終結を図った。それでも韓国は10億円を突き返せ」と官民あげて騒いでいる。
 宏池会の対中外交も土下座外交でその結末が尖閣諸島騒ぎだ。安倍内閣になって「靖国に参拝しない」などを約束したら会うと言った。「約束つきなら会わなくていい」と毅然とした態度を示した結果、条件つきはなくなった。一方で新安保法の制定を断行し、日米安保関係も強化した。世界のトラブルメーカーはみんなで押さえつけるしかないとの安倍思考を主要国や豪、印、ASEANなどが共有し始めた。
(平成29年1月18日付静岡新聞『論壇』より転載)