澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -191-
最高人民法院院長の「司法の独立」否定発言

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2017年)1月14日、最高人民法院(最高裁)院長の周強が、全国高級法院(高裁)院長会議で、西欧型の憲政民主・三権分立・司法独立等の“誤った思想”の影響に対し、断固として戦わなければならないと主張した。
 そして、周強は「中国の特色ある社会主義法治の道を歩まねばならない」と強調している。
 これは、「近代的」法治の概念を覆す驚くべき発言である。現在の中国が、如何に「前近代的」国家であるかを如実に示している表れとも言えよう。
 中国共産党は未だに中華人民共和国という「国家」よりも上位に存在し、党が中央・地方全ての統治機構を支配している。
 言うまでもなく、国家の政治権力は、あまりに巨大である(しばしば、旧約聖書『ヨブ記』に出て来るリヴァイアサンやビヒモスにたとえられる)。そのため、西欧では、権力が1人の人間、或いは1つの党に集中しないよう、その政治権力を分散(「三権分立」=立法・行政・司法)し、互いにチェック機能が働くようなシステムを構築した。
 長く苦い歴史の中から生まれた産物である。従って、「三権分立」は“人類の英知”と言っても過言ではない。
 その淵源は、古代ギリシャまで遡れるかもしれない。近代では、17世紀から18世紀、英国のジョン・ロックやフランスのシャルル=ルイ・ド・モンテスキュー等が「三権分立」を唱えた。
 それに加え、現代では、マスメディアが「第4の権力」として、立法・行政・司法をも監視している。権力の分散こそが、現在、世界の潮流である。
 おそらく、周強の発言はあくまでも「第2文革」或いは「文化小革命」を目指す習近平主席の意向に沿ったモノだろう。従って、今回の周強の発言は、習主席に対する“ゴマすり”の可能性も否定できない。
 実は、あまり知られていないが、2011年3月10日、当時、全人代委員長だった呉邦国は中国共産党第11回全人大第4回会議で「すべきでない5つの事」を提起した。
 それは(1)多数党による政権交代 (2)思想の多元化を指導 (3)三権分立と両院制 (4)連邦制 (5)私有化―である。
 翌11日、地方から参加した多くの中央委員は呉邦国の報告を異口同音に賛同したという。
 しかし、当時は胡錦涛(「共青団」)時代で、首相が温家宝(「共青団」ではないが、それに近い)だったので、呉邦国の「すべきでない5つの事」が大きく取り上げられることはなかった。
 中国共産党内でも「共青団」系(胡錦涛は胡耀邦に見出され、温家宝は趙紫陽の側近だった)は、多少なりとも政治改革の意識を持つ。
 ところが、中国が“悲劇的”なのは、政治改革を望まない保守的な「太子党」や「上海閥」のような勢力(「左派」)が優勢だからである。仮に「共青団」系が政治の中心に位置するようになれば、中国も少しは変わるかもしれない。だが、当面、その可能性は殆どないだろう。
 さて、最高人民法院院長による発言は、1人に権力を集中させた毛沢東の「文化大革命」時を想起させる。当時、「法治」による統治システム(官僚制)が破壊され、“超法規的存在”の毛沢東による「人治」が行われた。
 けれども、周強の言葉に対して、さすがに中国国内ですら、疑問の声が上がっている。
 例えば、北京大学法学部の教授、賀衛方によれば、中国は古代から「司法の独立」を渇望していたという。従って、「司法の独立」は西欧のモノとは限らないと指摘した。
 そして、賀衛方は、周強の発言こそ国家と人民に災いをもたらし、歴史の歯車を逆転させるとして、厳しく指弾している。
 また、(上海) 黄埔後代基金会顧問の任乃俊は、以下のように述べている。
 「一体、周強は何がしたいのか。推測すれば、 (1)裁判官は司法の独立に反対し、(2) マスメディアは新聞の自由に反対し、(3) 政府の役人は自分の財産公開に反対し、(4)人民は本当の選挙に反対する、偉大で摩訶不思議な特色ある社会主義中国を建設したいに違いない」と皮肉っている。
 今の中国では、賀衛方や任乃俊のような真っ当な考え方が拡がらず、逆に、北京に危険視され抑圧される公算が大きい。