澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -195-
香港から突然失踪した中国の大富豪

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2017年)1月27日(旧暦大晦日)、中国有数の大富豪、蕭(肖)建華(45歳)が、突然、香港セントラル(中環)のフォーシーズンズホテルから失踪した(妻の周虹文も、蕭と一緒に拉致されたが、すぐに大陸から香港へ戻って来ている)。
 蕭建華は、山東省出身(1971年生まれ)で、親が教師という家庭で育った。蕭は15歳の時、同省泰安市で成績トップとなり、北京大学法律系に合格した。
 蕭建華は大学卒業後、「明天系」の会社を設立した。現在、蕭は9つの上場会社を保有している。蕭の個人資産は、1000億元(約1.6兆円)はくだらないという。
 蕭建華は、香港銅羅湾書店の店主、株主や店員と同じように、中国公安・国家公安部(一説には、香港マフィア)によって身柄を拘束され、中国大陸へ連行された。
 習近平政権は、香港を「1国2制度」下ではなく、中国内地とほとんど同じ地域として扱っている節がある。
 今や、香港警察には、中国公安・国家公安部から香港住民を守る権限すらないのだろうか。もしそうならば、香港の主権は既に完全に北京へ移ったことになる。
 さて、なぜ蕭建華が中国当局によって香港から拉致されたのか
 蕭が習近平系の「太子党」ではなく、江沢民系の「上海閥」に近いからだと言われる(おそらく曽慶紅あたりか)。
 蕭建華は中国共産党の党内闘争に巻き込まれたのである。仮に、蕭が習近平主席に近ければ、拉致されることもなかっただろう。
 実は、蕭建華は1989年の「民主化運動」(後に「6・4天安門事件」の悲劇を生む)の際、北京大学学生会の主席、全国学連副主席等を務めていた。本来ならば、「民主化運動」のリーダー格だったはずである。
 ところが、蕭建華は、1990年、北京大学卒業後、大学に残り、中国共産党委員会学生工作部で働いた(蕭は北京政府と和解したと思われる)。
 蕭建華は、1993年、北京北大明天資源科学技術有限公司を設立した。そして、ビジネス界へ転身したのである。
 因みに、蕭は香港メディアからインタビューを受けた時、自分は1989年の「民主化運動」等には参加していないと答えている。
 1997年、妻の周虹文が香港で「鴻章国際」という会社を立ち上げ、投資や貿易業務を行った。それが、蕭建華が香港へ進出する契機となっている。
 周虹文は、1970年、内モンゴルで生まれた。1987年から1991年まで、北京大学情報管理系で学んでいる。周は、検索サイト「百度」のCEO、李彦宏と同級生である。周は、大学卒業後、北大方正集団に勤めた(北大方正は、李友が元CEOである。2012年3月、令計劃の息子、令谷が「黒いフェラーリ事件」を起こした。その際、令計劃は事件を揉み消すため、李友に巨額の資金を求め、李はそれに応えている)。
 1999年、蕭建華は明天ホールディングスを設立した。そして、妻の周虹文がその法人代表となっている。その後も、蕭はビジネスを順調に拡大していった。
 ところで、先月1月31日、明天ホールディングスは、蕭建華の署名入り4つの声明を発表した(その翌日<2月1日付>『明報』巻頭に掲載される)。その概要は次の通りである。
 第1に、自分(蕭建華、以下同じ)は、現在、国外で病気治療を行っている。治療が終わり次第、近くマスコミと会見を行う。
 第2に、自分は、中国政府は文明的な法治政府であり、人を拉致して中国大陸へ連行するような事はあり得ない。
 第3に、自分は、今まで国家利益や政府のイメージを損ねるような事に関わってきた事はないし、いかなる反対勢力や組織を支持したことはない。
 第4に、自分はカナダ国籍・香港永住権を持ち、カナダ領事の保護や香港の法的保護を受けている。
 2015年に起きた「銅羅湾書店事件」の際、株主の李波は中国当局から解放された後、完全に口をつぐんだ。だが、李波とは違って、店長の林栄基は、16年6月、香港へ戻ってから赤裸々に拉致拘束の実態を公に語っている。
 結局、習近平政権は、「反腐敗運動」を利用し、政敵(「上海閥」と「共青団」)叩きを行うため、今度は蕭建華を香港から拉致したと考えられる。
 しかし、おそらく米国に身を潜めている中国の大富豪、郭文貴が、近く中国共産党最高幹部の秘密情報を暴露する可能性を排除できない(ターゲットは王岐山だと考えられる)。
 近い将来、習政権の「反腐敗運動」は“ブーメラン”となって、北京政府を直撃するかもしれない。