澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -221-
八田與一像の首を切断した元台北市議

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政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 今年(2017年)4月16日、台湾では八田與一像の首が切断され、大きなニュースとなった。
 翌17日、元台北市議だった李承龍(1957年生まれ)が、自分のFacebookで自白したのである。そして、李は共犯とみられる女(邱某)と共に、自ら台北市警察署に出頭した。その後、2人の身柄は台南検察局に移されている。
 李承龍はもともと、中国大陸で青島ビールやタバコを販売していた。当初、李は外省人と見られていたが、実際は本省人だという。
 1994年、李承龍は台北市議会選挙で「新党」(当時、李登輝主席率いる国民党から分かれた「外省人」グループ)から出馬して当選した。任期中、李は台北市の役人や議員を殴り、起訴されている。1998年、李承龍は無所属で再選を目指したが、落選した。
 現在、李承龍は本省人にしては珍しく、急進統一派の「中華統一促進党」に所属している。昨16年には、桃園市の「台湾独立派」、「台湾民政府」中央会館大門付近で放火し、逮捕・起訴された。
 李承龍は、数年前から、今回の犯行を計画していたという。いわば「確信犯」である。李はノコギリで八田與一像の首を切断している。
 駆けつけた報道陣が李承龍に対して、「なぜ八田與一像を破壊したのか」と問いかけた。だが、李は「像は破壊していない」と答え、「すべき事を行った」と述べている。
 李承龍のFacebookによれば、4月19日16時、像の首を「中華統一促進党」の党本部に届ける予定だという。
 さて、戦前、日本人で台湾のために尽力した人物は、(第4代台湾総督、児玉源太郎のもと)民生長官の後藤新平をはじめ、数多くいる。八田與一はその筆頭格である。
 石川県出身の八田與一(東京帝国大学工学部土木科卒)は、戦前、台湾で不毛の地と言われた嘉南平原に嘉南大圳を築いた。中でも、当時東洋1と謳われた烏山頭ダム(大倉土木<現、大成建設>が中心。1920年着工、30年に完成)が象徴的である。
 八田による嘉南大圳建設で、常に旱魃の危機に晒されていた台南(15万ヘクタール=1500平方キロメートル)は、豊穣の大地へと生まれ変わった。約100万人の農民が豊かになったと言われる。
 戦時中(1942年)、八田與一は、船でフィリピンへ行く途中、米潜水艦の魚雷攻撃に遭い、船の沈没とともに他界した。終戦後間もなく、八田の妻は、烏山頭ダムへ身を投げている。
 実は、1931年、台湾人(=本省人)は、八田與一が固辞したにもかかわらず、台南に八田像を造った。それほど、八田は台湾人から慕われていたのである。
 その後、国民党(=当時、殆ど外省人)が台湾を支配するようになって以来、本省人は八田與一像を隠した。国民党が像を破壊する恐れがあったからである。
 1981年、国民党もだいぶ変化してきたので、八田與一像の安全を確信した本省人が、現在の台南の地に安置した経緯がある。
 最近、国民党の蒋介石像が破壊されている。本省人が過酷な台湾統治(1947年「2・28事件」を含む)を行った蒋介石を憎んでの犯行だろう。
 例えば、今年2月28日(「2・28事件」70周年)、新北市の輔仁大学構内にある蒋介石像の一部(杖の柄の部分)が、大学生2人を含む4人によって工作機械で切断された。その4人は警察当局によって身柄を拘束されている。
 そこで、李承龍は、逆に、本省人が大切に守ってきた八田與一像を破壊する事で、“意趣返し”をしようとしたのではないだろうか。
 今もって、大多数の外省人は、本省人が日本の台湾統治を“肯定”する点が気に入らない(彼らは台湾が日本統治によって「近代化」<=「民主化」・「資本主義化」>した事実を“否定”している)。また、多くの外省人は、本省人が日本人を“養父母”として慕うのも嫌っている。
 けれども、殆どの本省人は、台湾のために尽くした人物を決して忘れない。
 5月8日は、八田與一の命日である。毎年、八田の慰霊祭が執り行われている。
 あの外省人の馬英九前総統さえ、2008年5月8日、就任直前、その慰霊祭に参加した(ひょっとすると、馬の本省人に対する融和のための“ポーズ”に過ぎなかったかもしれないが)。