2年前に失効した「米国は矛、日本は楯」の役割分担
~敵基地反撃能力を早急に整備せよ!~

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政策提言委員・元航空支援集団司令官 織田邦男

 北朝鮮は5月21日、またもや弾道ミサイルを発射した。細部は未だ不明であるが、先週の14日に新型の中距離弾道ミサイルを発射したばかりだ。14日のミサイルは、北西部の亀城付近から発射し、高度2111.5キロに達し、787キロ飛行した後、日本海に落下したという。朝鮮中央通信はこのミサイルが新型ミサイル「火星12型」であり、公海上の目標水域を「正確に打撃」し、発射実験は「成功裏」に行われたと報じた。
 この日は中国の習近平国家主席が自ら提唱した「一帯一路」(現代版シルクロード経済圏構想)に関する初の国際会議の開幕日だった。中国が今年最大の外交イベントとして準備してきた会議であり、習近平の “晴れ舞台”にケチを付ける格好となった。
 核・ミサイル開発を強行する北朝鮮に対し、これまで国際社会は制裁を課してきた。だが中国は、のらりくらりとかわして裏口を用意し、制裁の実効性は上がらなかった。この状況は4月の米中首脳会談において大きく変わった。何らかの取引がなされたようで、習近平は実質的な制裁を強く求められた。
 中国による本格的な制裁が始まり、北朝鮮は強く反発していた。朝鮮中央通信はこれまでは名指しで中国を批判することは避けてきた。だが5月3日からは、次のように名指しで非難するようになった。
 「中国は無謀な妄動が招く重大な結果について熟考すべきだ」「中国はこれ以上、無謀にわれわれの忍耐心を試そうとするのをやめ、現実を冷静に見て正しい戦略的選択をしなければならない」
 今回の発射には金正恩朝鮮労働党委員長自らが立ち会ったという。習近平の“晴れ舞台”にミサイル発射を強行した意味は大きい。どんな制裁があっても、どんなに人民が餓えに苦しもうが、米国が北朝鮮を核保有国と認めて交渉に応じるまで、核・ミサイル開発を続けるという金正恩の強いメッセージに違いない。韓国に亡命した元駐英北朝鮮公使太永浩は昨年12月に次のように述べている。「1兆ドル、10兆ドルを与えると言っても北朝鮮は核兵器を放棄しない」と。
 今回のミサイル発射は、飛距離を抑える「ロフテッド軌道」で打ち上げられた。北朝鮮は、核弾頭搭載が可能で、新たに開発したエンジンの信頼性も再確認し、大気圏再突入の環境下で弾頭部の保護や起爆の正常性が実証されたと報じた。19日、米国メディアも米国防当局者の話として、弾頭の大気圏再突入に成功したと報じている。
 準備されていた6回目の核実験は、今のところ中国の圧力が奏功したのか、未だ実施されていない。だが、これを強行して核弾頭の小型化が実現すれば、我々の頭上に核の脅威が現実に覆いかぶさることになる。相手は専制独裁国家である。ある歴史家が述べた言葉が重くのしかかる。「独裁国家が強力な破壊力を持つ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的事実を見つけることができない」
 ドナルド・トランプ米国大統領は米国本土に届く核弾道ICBMの完成をレッドラインとしているようだ。だが現実には、北朝鮮への先制攻撃は軍事的ハードルが極めて高い。彼自身、「大規模紛争になる」と及び腰だ。ジョージ・マティス米国防長官も、19日の会見で北朝鮮への軍事行動について「信じられない規模での悲劇が起きる」と指摘した
 このまま膠着状態が続けば、「アメリカ第一主義」を掲げるトランプ大統領は、北朝鮮を核保有国と認める代わりに、米国に届く長距離弾道ミサイルは持たせないということでディールする可能性がある。日本にとって悪夢のシナリオである。だが、その現実を突き付けられてから右往左往するようでは独立国家とは言えない。我々は最悪を想定し、日本独自の核・ミサイル抑止戦略を構築しておかねばならない。
 抑止政策には三種類ある。「懲罰的抑止」、「拒否的抑止」、そして「報償的抑止」である。懲罰的抑止とは「もし一発でも撃ったら、百発打ち返して壊滅させるぞ」というものである。日本はこの抑止政策は憲法上、また能力上も採れない。米国との同盟つまり「核の傘」に期待するしかない。
 拒否的抑止とは「もしミサイルを撃とうとしても、目的は達成できないよ。そちらの意思は拒否する」というものである。具体的にはミサイル防衛、策源地攻撃、シェルターによる被害局限措置などがある。日本は主権国家として主体的に拒否的抑止能力は整備しなければならない。
 報償的抑止とは「もしミサイルを撃たなければ、もっと良いことがあるよ」というものである。「飴と鞭」の「飴」に焦点を当てた外交交渉であり、国際的な枠組みで実行しなければ効果は期待できない。北朝鮮とは1994年以降、KEDO(Korean Peninsula Energy Development Organization, KEDO)という米朝枠組み合意に基づいて、核開発をやめる代わりに軽水炉、重油燃料を提供するとしてきた。だが、結果的には裏切られ、報償的抑止は失敗に終わった。トランプ政権では「もはや戦略的忍耐は破綻した」との認識に至っている。
 これらの抑止政策はそれぞれ単独で実施しても効果が上がらない。また、どれが欠けても機能せず、三位一体となって実行していかねばならない。北朝鮮の核に対して日本がやるべきことは懲罰的抑止である「核の傘」の信頼性を上げるとともに、拒否的抑止を実効性あるものに整備することである。報償的抑止については6ヵ国協議を先ず再開させることだ。
 拒否的抑止のために、我が国はイージス艦から発射するSM3とPAC3の二層でもってミサイル防衛体制を構築している。今回の「ロフテッド発射」を見ても分かるように、北朝鮮のミサイル技術は日増しに進歩しており、現体制では不十分である。報道によると、政府はSM3とPAC3の能力向上に加えて、イージス・アショアシステムを新規に導入することで更に重層化を図ろうとしているようだ。
 だが、いくら能力向上を図り、重層化しても飛んでくるミサイルを100%撃ち落とすことはできない。そのためには、発射前のミサイルを地上で叩くという「策源地攻撃能力」も併せて整備する必要がある。
 3月29日、自民党の安全保障調査会は、北朝鮮の核・ミサイルの脅威を踏まえ、敵基地を攻撃する「敵基地反撃能力」の保有を政府に求める提言をまとめ、翌30日、安倍晋三首相に提出した。従来使っていた「策源地攻撃」という言葉は分かりにくいということで「敵基地」とし、また先制攻撃ではないと明確にするため、「反撃」の語句を入れたという。
 調査会の座長を務めた小野寺五典元防衛大臣はこれについて次のように説明している。
 「何発もミサイルを発射されると、弾道ミサイル防衛(BMD)では限りがある。2発目、3発目を撃たせないための無力化の為であり自衛の範囲である」
 「敵基地反撃能力」の保有については、1956年に鳩山一郎内閣が次のように政府見解を示しており、憲法上の問題はない。「誘導弾等の攻撃を受けて、これを防御するのに他に手段がないとき、独立国として自衛権を持つ以上、座して死を待つべしというのが憲法の趣旨ではない」
 反対する人の中には、日米同盟の「矛と楯」の役割分担を持ち出す人がいる。米国が矛の役割分担だから、攻撃は米国に任すべきとの主張である。与党内の有力議員でも同様に主張する人がいる。だが、これは実は大きな間違いである。2年前に改定された「日米防衛協力のための指針」、所謂、新ガイドラインでは、既に日米の役割分担は変わっているのだ。
 2015年4月27日に改定された新ガイドラインを見てみよう。「日本に対する武力攻撃への対処行動」の「作戦構想」で「弾道ミサイル攻撃に対処するための作戦」については、「自衛隊及び米軍は、日本に対する弾道ミサイル攻撃に対処するため、共同作戦を実施する」とある。役割分担については「自衛隊は、日本を防衛するため、弾道ミサイル防衛作戦を主体的に実施する。米軍は自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する」と記されている。
 1997年9月23日に策定された旧ガイドラインではどうなっているか。「作戦構想」で「自衛隊及び米軍は、弾道ミサイル攻撃に対処するために密接に協力し調整する。米軍は、日本に対し必要な情報を提供するとともに、必要に応じ、打撃力を有する部隊の使用を考慮する」となっていた。
 旧ガイドラインにあった「策源地攻撃」に関する記述、つまり「(米軍は)必要に応じ、打撃力を有する部隊の使用を考慮する」という一文は、もはや新ガイドラインでは消滅している。また旧ガイドラインでは「米軍は、日本に対し必要な情報を提供する」とあったが、新ガイドラインでは「自衛隊及び米軍は、弾道ミサイル発射を早期に探知するため、リアルタイムの情報交換を行う」と対等になっている。
 つまり「弾道ミサイル防衛」に関しては、従来の「矛と楯」の役割分担は既に改定され、自衛隊が主体的に実施し、米軍はそれを「支援し、補完」するという役割分担に代わっているのだ。
 本来なら2年前のガイドライン改定後、直ちに「敵基地反撃能力」を議論すべきところ、北朝鮮の核・ミサイル脅威が顕在化して、やっと自民党が重い腰を上げたということだ。
 因みに新ガイドラインはオバマ政権下で策定されたものである。オバマ大統領は2013年9月、「もはや米国は世界の警察官ではない」と宣言した。既に日米同盟も変質している。米国の同盟国に対する姿勢は1969年7月のニクソン・ドクトリンに立ち戻ったと見なければならない。ニクソン・ドクトリンでは、「(米国はコミットメントを維持するが)国家の防衛は当事国が第一義的責任を負う」と主張しているのだ。
 日米で「矛と楯」の関係が完全に消滅したかというとそうではない。新ガイドラインに1ヵ所だけ出てくるところがある。作戦構想の「領域横断的な作戦」には、「米軍は、自衛隊を支援し及び補完するため、打撃力の使用を伴う作戦を実施することができる」とある。「領域横断的な作戦」とは言わば全面戦争である。つまり全面戦争になれば、核を含む打撃力による報復は米軍が実施する(正式には「実施できる」”may conduct”だが)としており、「懲罰的抑止」については、従来の「矛と楯」の関係が辛くも維持されている。
 「敵基地反撃能力」に関する国内議論も盛り上がらないが、同床異夢で概念が整理されていないことにも原因がある。我が国に飛来するミサイルを無力化するのが拒否的抑止としてのミサイル防衛であるが、飛来するミサイルをどこの時点で無力化するかによって、一般的には次のように分類されている。
 ブースターが燃焼している間に迎撃する「ブースト・フェーズ」、ブースターが燃え尽きた後、大気圏を飛行する間に迎撃する「ミッドコース・フェーズ」、そして大気圏内に突入してから迎撃する「ターミナル・フェーズ」の三段階である。
 今回の「敵基地反撃」というのは「ブースト・フェーズ」直前の段階で、ミサイルを無力化するものである。いわば「ゼロ・フェーズ」(筆者の造語)段階でのミサイルを地上で「迎撃」することを意味するものであり、ミサイル防衛の一環として位置付けられる。我が国に向かってくるミサイルを空中において無力化するか、発射直前の地上で無力化するかの違いに過ぎず、何れもミサイル防衛なのである。
 日本のミサイル防衛体制は、最終フェーズである「ターミナル・フェーズ」で迎撃する兵器としてPAC3を導入し、「ミッドコース・フェーズ」で迎撃するためにイージス艦にSM3を装備してきた。今後はこれに加え、「ゼロ・フェーズ」で迎撃する兵器、巡航ミサイルなどの精密誘導兵器を導入し、ミサイル防衛体制をさらに実効性ある体制に充実させていかねばならない。因みに「ブースト・フェーズ」で迎撃する兵器として、レーザー兵器等の研究がなされているが未だ完成されたものはない。
 「敵基地反撃能力」については、民進党や共産党は「専守防衛の建前を崩す」などとして反対している。「反対の為の反対」ではないと思いたいが、だとすれば、「懲罰的抑止」と「拒否的抑止」を混同しているのだろう。また既に虚構となった「矛と楯」という日米役割分担に対し、手前勝手な思い込みにしがみついているだけかもしれない。いずれにしろ、もし反対であれば、我が国の頭上を覆いつつある北朝鮮の核・ミサイルに対しどう対応するか対案を示すべきだろう。でなければ政治家として、あまりにも無責任すぎる。
 ただ実際の運用になると、「敵基地反撃」は非常に難しい作戦であることは確かだ。リアルタイムのミサイルの位置情報入手が鍵となるが、ミサイル発射台が移動式になり、固定燃料化すると発射までの時間が大幅に短縮される。従って発射前のミサイルを発見しても、これを攻撃する時間的余裕は極めて制限される。加えて、もし仮に巡航ミサイルで攻撃するにせよ、韓国上空を飛行させるわけにはいかないだろう。目標発見、攻撃要領、攻撃経路の選定など運用面での課題は多い。
 だからといって「敵基地反撃能力」は持つ必要はない、持っても抑止力としては役に立たないとは言えない。冷戦時、極東ソ連軍が侵攻してきたら自衛隊はひとたまりもないと言われてきた。だから自衛隊はいらないとは言えなかったのと同じである。少しでも拒否力があれば抑止力として機能することはあり得る。拒否力と懲罰力が相俟って、大きな抑止力になり得るのだ。
 また物理的「能力」を保有するにも、最低5年単位の長い年月がかかるし、一朝一夕にはいかない。先ず物理的「能力」を整備しながら、並行して運用上の課題を解決していくという姿勢が求められる。
 先述したように北朝鮮の核・ミサイルに対する抑止は、懲罰的抑止、拒否的抑止、そして報償的抑止がバランスよく三位一体となってようやく機能する。その中でも拒否的抑止は独立国として主体的に実施しなければならない。
 拒否的抑止であるミサイル防衛に関し、日米の役割分担が既に変わっているにもかかわらず、手前勝手な思い込みにしがみついていても米国は相手にしないだろう。日本が主体的に努力しなければ、米国による懲罰的抑止にまで悪影響を及ぼしかねない。
 その他の拒否的抑止施策として、地下鉄などをシェルターとして利用する被害局限措置についても、真剣に現実化していかねばならない。また懲罰的抑止についても、完全に米国任せでいいのか、タブー無き議論も今後必要である。金正恩を思いとどまらせるために、日本は何を為すべきか、日本人自らが当事者意識をもって主体的に考えなければならないのだ。
 安倍総理大臣は参議院本会議で、「敵基地反撃能力」について「法理的には自衛の範囲に含まれ可能だ」とし、「常にさまざまな検討を行い、あるべき防衛力の姿について不断の検討を行うことは当然のことだ」と述べた。
 核・ミサイルの脅威が現実味を帯びて来た今こそ、原点に立ち返り「さまざまな検討を行い、あるべき防衛力の姿」を真剣に模索すべき時なのである。もはや甘えは許されないし、一刻の猶予も許されない。できることから現実化していかねばならない。厳しい国際情勢は待ってはくれないのだ。

(JBpressより転載)