前川前事務次官騒動

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元法務大臣 長勢甚遠

 森友学園騒動が一段落したと思われたころ、民進党議員が「加計学園の獣医学部新設認可は安倍総理の意向であるとする文書がある」と質問して安倍政権攻撃のための新たな問題を作り出す先陣を切った。間髪を入れず、文科省の天下り問題で辞任した前川前事務次官が、「安倍総理の意向であると書かれた文書は確かにあった。国会に証人として出てもいい。」と発表したから、たちまち大騒ぎになった。何せ、問題の責任者であった人が言うのだから、多くの人は安倍首相が文科省に圧力をかけて友人である加計学園理事長の希望を実現させたと思ってしまう。待ってましたとばかりに朝日新聞などが安倍首相の責任追及キャンペーンを繰り広げ、さしもの安倍政権も窮地にさらされることになった。追い打ちをかけるように前川氏はたびたびマスコミに登場し「獣医学部新設は官邸の不当な圧力によって作り上げられた。そのことを国民に知らせる義務がある。」などと吠え立て、ちょっと前までは省ぐるみの天下りを主導した悪人であった前川氏は一夜にしてマスコミの正義のヒーローに転身した。民進党前川氏ら文科省職員朝日新聞などが連携したこの一連の連続攻撃は流れるように見事なものだ。用意された周到な計画に基づく連携プレイと思わざるを得ない。
 あわてた政府側は、この問題についての首相の関与を否定し、大学認可は特区審議会の公正な判断によるものだと反論するとともに、前川氏が文科事務次官という職にありながらいかがわしい出会い系バーに頻繁に出入りしていたことなどを挙げて、前川氏の信頼を失わせることに躍起になったが、文科省から次々と内閣に不利な資料が公表され、騒ぎは一向に収まりそうにない。
 民進党マスコミは好機とばかりに、前川発言を最大限に活用して政府攻撃を強めている。この騒動で安倍内閣の支持率も低下しているらしいから、この問題が政局にどういう影響をもたらすか予断を許さない状況だが、国民にはまたかという声も多く、繰り返される与野党の泥仕合とマスコミ騒ぎに対する批判は強い。
 この騒動からいろんなことを考えさせられた。表面のことよりも騒動の背景にあるものに注意を払うべきではなかろうか。

1、文科省の本質
 役人仲間では前川氏の言動に対して「事務次官までやった者のすることか。役人としての忠誠心はないのか。守秘義務違反にあたる。」という批判が強い。その通りなのだが、そんな道理が通用する野党、マスコミではない。もともと文科省は日教組とともに敗戦後の民主化教育推進の本拠であり、戦後教育見直しには野党、マスコミ、日教組とともに強く反対してきた。そこで育ち朝鮮学校に対する補助金交付を主張してきた前川氏に自民党政権に対する忠誠心などあろうはずがない。彼の忠誠心の対象は日教組、野党なのである。それに憲法15条は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない。」と規定している。個々の公務員は内閣の指示に従う事よりも全体の奉仕者でなければならないということだ。これでは公務員が内閣に忠誠心を持たなくてもいいということになり、内閣、行政の一体性、統一性を保持することができなくなる。この規定はそれを意図して日本が再び立ち上がることができなくなるように占領軍が仕掛けた罠といえる。前川氏は「国民に知らせる義務がある。」と見えを切っているのは当然なのである。
 前川氏の言動を批判するならば、何よりもそのもととなった文科省の本質、憲法15条を問題にすべきである。

2、規制緩和
 今回の騒動の原点は規制緩和にある。前川氏は獣医学部の新設について「薄弱な根拠でなされた行政をゆがめるもの」と批判しているが、その通りだと思う。規制改革とはそういう性格のものである。従来の規制を官僚、業界の既得権益を守るためのものと決めつけ、経済成長を図るうえでの障害となっているとして、政治主導によりそれを緩和し打破することを推進することが賞賛されるというのが、小泉内閣以来の政治風潮である。規制緩和の名のもとに、まさに薄弱な根拠により行政がゆがめられてきた。
 規制緩和は、自分の好きなように楽に儲けることこそが正義と唱える商売人、経済学者と称する人達(金儲け論者)——オリックス、ソフトバンク、楽天、竹中平蔵など——によって主張され、小泉政権以後は与野党を問わず政治の題目となっている。規制緩和を推進するための法律がつくられ、そのための審議会は金儲け論者の拠点、巣窟となった。その手先は内閣府、経産省の役人である。これに反対する各省庁、業界は抵抗勢力とされ、目の敵にされてきた。
 獣医学部の新設はこの流れの一環であり、民主党政権が推進してきたもの。文科省が反対し内閣府と対立したが、法律(国家戦略特区法)に基づく国家戦略特区審議会の公正な手続きにより決定されたものである。そのことは審議会メンバー全員が証言している。前川前事務次官の批判はその通りだが、そういう官僚の主張を排除するのが規制緩和なのである。
 今回の騒動の中で前川前事務次官が内閣府が「総理の意向」を盾に強引に押し切ったと批判していることに対し、官邸側は「そう考えていたなら総理に直接言える立場にあったのに、その時には黙っていて退官してから言うのはおかしい。」と反論しているが、それもその通りだ。前川氏も規制緩和の流れが解っていたから現職の時には「総理の意向」を直接確かめることをしなかったに違いない。
 獣医学部新設を批判するならば、規制緩和の仕組みを批判するのが筋というものだ。規制緩和に加担し既得権擁護の官僚、業界をやり玉に挙げてきた野党、マスコミはそれができないからスキャンダルめいた批判に躍起になっているのだ。それは卑怯というほかない。民主党政権が推進してきた獣医学部新設の手柄を安倍政権にとられた意趣返しというなら笑止というほかない。

3、政治主導
 獣医学部新設について首相の指示があったかどうかが焦点になっている。また、野党は官僚などの「忖度」を問題視している。事実は知らないが、仮に首相の指示があったとしたらどうだというのであろうか。
 ある友人が「総理になって何も言えないという方がおかしい。」と言っていたが、その通りではないか。行政は首相を頂点として統一性を持って実施されるべきものであり、国の重要政策の推進に首相が何らかの指示をするのは当然であり、官僚が首相の意向を忖度、尊重するのは何らおかしいことではない。したがって、前川前事務次官、野党の批判は当たらない。まして、野党、マスコミは政治主導を主張のうたい文句にし、「官僚の言いなり」と政府を批判してきたのではなかったのか。「総理の意向」のもとに行政を行うのが政治主導ではないのか。
 規制緩和は政治主導でトップダウンで推進することを大前提としており、政府の重要政策である規制緩和について首相が直接指示をするのは予定されている当然のことである。野党、マスコミは安倍首相の加計学園に対する利益誘導であると批判するが、加計学園理事長と親しいから利益誘導だと言うのはただの言いがかりとしか思えない。
 与野党を問わず、「民意を反映するためには政治主導でなければならない。」と馬鹿の一つ覚えのように叫んできたではないか。
 「総理の意向」を問題にするならば、その背景にある政治主導を問題にすべきだ。野党、マスコミは「政治主導は許せない」とでも言ったらどうか。

4、公務員制度改革による内閣府の専横
(1)この問題の発端は安倍首相の意向を示す文書があるかないかだった。そういう文書は当然あるだろうと推測する。獣医学部新設に反対する文科省職員が内閣府との交渉経緯を上司に報告するのは当然であり、内閣府の職員は文科省を説得するために「総理の意向」をちらつかせることは不思議なこととは思えないからである。どんな交渉においても有利に運ぶためにいろんな言説を用いることはままあることであり、「総理の意向」のあるなしに関わらず内閣府の職員が「総理の意向」であると言ったであろうことは想像に難くない。まして規制改革は小泉内閣では「聖域なき緩和」、安倍内閣では「岩盤規制の打破」と称せられ内閣に重要政策と位置付けられているのであるから、具体的に総理から指示がなかったとしても、内閣府職員が「総理の意向」と述べたからといって虚偽というほどのものではない。実際、小泉内閣時代に自民党の責任者として医療、雇用の規制緩和に反対していた私を説得に来た内閣府職員は「これは総理の方針だ」と問答無用と言わんばかりに言い放っていた。それが政治主導の政治というものであった。
 ただ、こんなことは交渉過程のことであり、背景説明として語られることがあるとしても公式の資料として残されるべきものではない。インターネットの発達によって、どんなメモでも残ることになったためにバカバカしい騒動のもととなったと思うと今昔の感がある。

(2)前川氏が部内資料を野党、マスコミに提供したことについて、一部マスコミでは文科省の天下り問題で辞任させられた前川氏の心情を「忖度」した記事を掲載していた。獣医学部新設に反対した高等教育局長を官邸の指示により辞めさせ早大に斡旋した前川氏は、そのことが問題となるや官邸から天下り問題の責任を取って辞任を強要されたという。つまり、官邸の尻拭いをさせられた上に辞任させられた恨みが今回の官邸に対する反乱になったというのである。また、そもそも文科省の天下り問題は再就職等監視委員会の調査に始まり拡散したのであり、高等教育局長、事務次官の更迭は内閣主導で行われたのであるから、文科省の憤慨も大きいことであろう。文科省職員から、続々と内部資料がマスコミに提供されるのを見るとそう見えてくる。
 これは文科省が反自民党政権色が強いということではなく、与野党、マスコミが寄ってたかって推進してきた公務員制度改革がもたらしたものと言える。公務員改革により、各省庁人事は内閣人事局の権限とされ、天下りの審査は内閣府の再就職等監視委員会の権限とされ、このため各省庁は内閣にものが言えない状況になっている。文科省に限らず、各省庁は官邸、内閣府の人事権掌握に大きな不安と恐怖を感じている。

(3)かつては省庁において予算を握る大蔵省が絶大な権力を有し、他省庁を下に見るという傾向があったが、内閣府の役人の増長ぶりはその比ではない。これはかつて公務員制度改革がもたらしたものである。各省庁は内閣府の意向に逆らえない雰囲気のもとにあり、それに対する怒りと不満、恨みにはすざまじいものがある。とは言え、内閣府は予算を持っているわけでもなく何かの事業を行うでもなく、ただただ政治家あるいはそれに取り入る金儲け論者、経済学者の言い分を各省庁に押し付けるだけの役割であるから、それをやらされている役人にも同情を禁じ得ないものがある。山本規制改革担当大臣が「文科省から内閣府に出向している職員がメモを本省に送った」とスパイがいるがごとき発言をしたが、多分事実であろう。内閣府の職員は各省庁から徴発されているが、各省庁は事前に内閣府の意向を知らせるように指示するのは当然である。これに対して内閣府は重要事項は各省庁からの出向職員に知られないように苦労していると言われる。

 資料のあるなしを論ずるよりも、その背景にある公務員改革こそ問題にしなければならない。官僚支配を脱し政治主導の政治を目指すという名分で行われた公務員制度改革は、公務員の志気を失わせ、行政の機能不全を引き起こしている。

5、マスコミ報道
(1)今回の騒動が表面化したのは前川氏が朝日新聞、NHKに内閣に不利をもたらす内部資料を提供したことに始まる。前川氏にとって忠義の対象は日教組とそれに与する野党、朝日新聞、NHKにあるのであるから、内閣に不利な資料をそれらに提供するのは当然のことだろう。野党、マスコミにとっても配下にある前川氏や文科省が内閣より痛めつけられたのであるから、仕返しをしなければならない義理もあるだろう。内部告発めいた資料提供が延々続く事態は、野党、マスコミと文科省職員は一体のものと思えばわかりやすい。教科書問題などで中共、韓国が常に先手を打って日本国民を恫喝できるのはこういうことがあるからだ。
 今回の騒動についてのマスコミの対応が分かれているようだ。野党と連携して前川氏を支援、政府を批判しているのが朝日、NHKと週刊文春など、逆に政府を支持し野党及び前川氏に批判的なのが読売と週刊新潮のように見えるのは面白い。なぜこのような対立を生んだのであろうか。そのお蔭もあっていろんな裏事情が報道されるので、推理小説を読んでいるようで面白いと言えば面白い。しかし、内閣の運命を左右するというのにマスコミに乗せられてそんなことにうつつを抜かしていていいのかと思う。

(2)今回の騒動で安倍政権の驕りがあったという意見がある。首相や官房長官は前川発言に対して謙虚に説明すればよかったのに、与党の数を頼んで頭ごなしに否定したことが問題を大きくしたという。つまり安倍一強に慢心して初動対応を間違えたことがこの騒動になったというものだ。
 しかし、私にはそうは思えない。間違いは、「総理の意向」があったという批判に対して、意向など何もなかったと反論したことにあると思っている。首相は、私が判断したと言えばよかったのではないか。政治主導の政治ではそれが求められているのだから、何もおかしいことではない。加計学園理事長と親交があるだけで、金を貰って決めたわけでもなく、民主党政権も推進していた獣医学部新設を岩盤規制の打破のために政治主導で決めたのだから、野党、マスコミも表向き反論できまい。国民も力強い首相を支持したに違いない。資料がなかったなどと些末なことに拘ったから野党、マスコミから付け込まれることになったのだ。首相の意向があったとなれば、マスコミからどんな因縁をつけられるかわかったものではないとの恐怖が、意向などなかったという方向に走らせることになったのだろう。逃げれば逃げるほどそれに付け込んで追いかけてくるのがマスコミ、中共、暴力団だ。敗戦後の日本の政治、社会は陰に陽にこのようなマスコミの圧力で混乱に陥れられてきた。
今夏の騒動を契機に、なぜマスコミは恐ろしいのかを問題とすべきではないか。

 このように今回の騒動をつらつら考えながら、なんと情のないギスギスした娑婆になったのであろうかとつくづく思った。
 国民は今回の騒動について与野党双方に驚き呆れている、心ある国民は何かおかしいと思っている。しかし、官邸側の反論にも野党、マスコミの言い分にも一分の理がある。どちらが悪いということはできない。獣医学部新設は、政治主導、規制改革、公務員制度改革の方向に照らしておかしいことは何もない。政治主導も、規制改革も、公務員制度改革も、与野党は勿論、マスコミが推進してきたことであり、かつ、国民の多くも支持してきたことであるから、野党、マスコミも国民もそれを問題にすることはしない。その結果、安倍内閣の驕りというとんでもない方向になっている。
 このように見てくると、今回の騒動には敗戦後の日本をおかしくしてきた悪役がそろって登場しているとの思いを深くする。悪役とは、文科省、特区審議会、内閣人事局、そして朝日新聞、NHK、野党であり、政治主導、規制改革、公務員制度改革という間違った流れである。これだけ揃えばろくなことはない。今回の騒動は起こるべくして起きた悪役同士のせめぎあいが作り出した複合脱線事件と言える。いずれにも欠けているのは謙虚さ、思いやりである。どちらも根本がおかしいのだ。これが敗戦後の日本の姿である。そうなってきた背景、経過に目を凝らしてもらいたいものだ。
 敗戦後の日本は占領軍の意向の下に、主として二つの勢力の支配下に置かれてきた。一つは敗戦憲法を基盤とする平和・人権勢力、個人尊重論者であり、これに属する朝日新聞、NHK、野党は個人優先、自分さえよければいいという政策を主張してきた。一般に革新派、リベラル勢力などと呼ばれる。文科省もこれに属する。もう一つは、経済至上主義を基本とする勢力であり、これに属する経済界、経済官僚、自民党は経済の発展こそが重要と主張し、企業が儲かりさえすればいいという政策を推進してきた。一般に保守派などと呼ばれる。
 二つの勢力は本来まるで違うものであるはずなのだが、おかしなことにこれまで時に争い、時に協力して殆ど決定的に対立することなく、いわば持ちつ持たれつの関係を維持し日本を支配してきた。それはどちらも敗戦憲法を墨守し日本の伝統的社会を否定、壊滅することにおいて目的を共有していたからである。政治主導、規制改革、公務員制度改革もその所産である。
 その結果、両勢力は温存され、日本は伝統的な心を失った分裂国家の道を歩んできた。個人尊重にも金儲けにもみんな仲良くという心があってこそというのが日本の思想である。その根本を見失った日本は、いつまでも混乱を続けることになる。今回の騒動は政治の社会で起ったことであるが、家庭、企業でもこんなことが頻発しているのではないか。
(平成29年6月30日)