「コンゴ」というアフリカの悲劇

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 ベルギーの首都ブリュッセルの南東郊外に「王立中央アフリカ博物館」という巨大な建造物がある。100年以上前にベルギー第二代国王レオポルド2世の命によって建設されたもので、アフリカの民族と生活、動植物の種類とその生態を知る上で世界有数の展示会場になっている。この博物館を訪れると、奥まった一隅に奇妙な展示コーナーがある。それは、かつてベルギーがコンゴを植民地化した時代(1885~1960)の様相を説明したもので、象牙やゴムの強制的な採集のためノルマを達成できない多くの現地住民の手足を切断するような過酷な植民地統治が行われた実情が分かるようになっている。ベルギーの歴史における暗黒面を象徴的に示す展示である。
 ベルギーによるコンゴの植民地化は困難を極めた。英仏などに遅れて帝国主義的競争に参入したベルギーは広大なアフリカの大地の中でも最も生活条件・環境の厳しい中央アフリカに足を踏み入れることになった。国土面積がわずかに3万㎢しかないベルギーが自国の80倍もある瘴癘(しょうれい)の地を植民地にしようというのである。土台うまく行くはずがなかった。「ベルギー領コンゴ」はアフリカで最悪の植民地だった。
 さて、1960年に独立したコンゴはその後どうなったか。一言でいえば、「アフリカ最悪の植民地」が「アフリカ最悪の独立国家」に変貌しただけである。モブツ大統領による32年間の独裁政治(1965-97)に続き、カビラ親子による二代の支配によって「民主共和国」の名に値しない最も非民主的な支配が続いている。現在のジョゼフ・カビラ大統領(2006- )は憲法の規定により2016年末には任期満了のはずであったが、種々の口実を作って大統領選挙を実施せず、今も大統領の座に居座り続けている。
 実際、独立後のコンゴは内戦・外戦に明け暮れ、第二次大戦後としては朝鮮半島やベトナムを上回る最大の戦争犠牲者(死者だけで約3百万人?)を出している。2013年には国連の後援を受け近隣11ヵ国の間で「安全保障・協力枠組み」が調印されたが、紛争は散発的に継続しており、平和が訪れる気配はない。国連は今も18000人を超える世界最大規模のPKO部隊を派遣している。
 「豊かであることは幸福を保証しない」というが、コンゴほどこの言葉が当てはまる国はない。金とコバルトの生産量が世界第1位、ダイヤモンドも第2位で、アフリカ第一の鉱物資源量を誇り、これに銅、原油やコーヒーの生産も加わる。しかし、これらの富は政治指導者や武装勢力を含む極く一部の人間によって収奪され、国民は世界で最も貧しい状況(一人当たりGDP約400ドル)に置かれている。欧米諸国や中国はODAを梃に熾烈な資源獲得競争を展開している。最大の貿易相手国は中国である。
 もう一つ、この国を不幸にしている事情がある。それは国内各地に散らばる250以上と言われる異なる民族・部族間の歴史的な対立である。特に、東部ウガンダやルワンダ、ブルンディとの国境地域には広大な山岳地帯や熱帯雨林が広がり、完全な「無法地帯」になっている。ルワンダのツチ族武装勢力やイスラム過激派勢力の浸透もある。村人たちは生き残るために部族の武装組織に入るか難民になって逃げるかの選択しかない。昨年だけで2百万人が新たに難民となり、国内避難民の総数は430万人に膨れ上がっている
 コンゴ民主共和国は、西の隣に「コンゴ共和国」という(日本とほぼ同じ面積の)別の国があるため、略称で「コンゴ民」と呼ばれて区別される。アフリカ大陸のほぼ中央に位置し最大の面積(日本の6.2倍)を誇る。人口も約8千万人でサハラ砂漠以南では3番目に多い。資源豊かな国であり、紛争のない民主的な統治によって経済がきちんと発展すれば「アフリカの大国」の一つに数えられてもおかしくない国である。コンゴの「最貧国」としての現状はアフリカの悲しい現実を象徴しているように思われてならない。