澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -293-
北朝鮮の「非核化」と南北朝鮮統一問題

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政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 今年(2018年)4月27日、南北朝鮮のトップ同士が、板門店で会談を行った。これを契機にして、融和ムードが朝鮮半島を覆っている。
 そのためか、世界の一部メディア、一部の朝鮮半島研究者は、北朝鮮が本気で(段階的)「非核化」を目指すと考えているようだが、楽観視し過ぎではないだろうか。
 北朝鮮にとっては、核(と短中長距離ミサイル)こそ“切札”(=“命綱”)である。核保有している限り、(1)現体制の維持が保証される(米国等から攻撃を受けにくい)(2)(核開発中止を匂わせ)国際的支援を引き出せる(3)北主導の朝鮮半島統一 —―を可能にする。
 金王朝は、あらゆる事を犠牲にして、長年、核開発を推し進めてきた。万が一「非核化」したら、北は単なる世界最貧国の一つに転落する(荒木和博拓殖大学海外事情研究所教授)。従って、論理的には北の「非核化」は殆ど考えにくい。
 他方、一部の朝鮮半島研究者は、南北の平和的統一の可能性まで示唆している。しかしながら、(長期的には分からないけれども)短・中期的には、平和的統一の公算は小さいと思われる。
 この点については、東西ドイツの統一が参考になるのではないか。(1)経済力(2)イデオロギー(3)国際環境(4)核問題から検証してみたい。
 周知のように、第2次大戦後、敗戦国のドイツは東西に分割された。特に、東ドイツに存在したベルリンは、その中で東ベルリンと西ベルリンに分けられた。そこで西ベルリンは陸の孤島となっている。その後、ベルリンには東西を分ける壁が作られた。「ベルリンの壁」である。
 さて、1974年、ポルトガルから始まった民主化を求める波「第3の波」(ハンチントン)が地球上を駆け巡った。その波が1980年代後半、アジア(特に、台湾や韓国)からヨーロッパに押し寄せている(1989年、中国でも民主化要求運動が起こった。ところが、「6・4天安門事件」で中国の民主化は挫折している)。
 1989年5月、東ドイツ市民は、チェコスロバキア経由でハンガリーへ脱出を開始した。同年11月、東西ドイツを分けていた「ベルリンの壁」が市民によって壊され、翌90年、東西ドイツは統一された。
 「第3の波」が東西ドイツの国境を融解させたと言えよう。東ドイツ側は、経済的に強大な西ドイツに取り込まれた(編入された)。
 (1)当時、東ドイツは、経済的に東側の優等生と言われていた。だが、統一後まもなく、西ドイツと比べ、東ドイツの経済力が脆弱だった事が知れる。そのため、統一後、旧東側は旧西側に追いつくまで苦労している。
 (2)東ドイツは民主化には殆ど抵抗がなく、かえって歓迎された。イデオロギーの面からも、統一時、東西ドイツには差異はあまりなかったと言えよう。
 (3)当時のソ連邦には、「ペレストロイカ」と「グラスノスチ」を掲げたゴルバチョフが登場していた。また、東欧にも「民主化」の波がやって来ていた。このような国際環境下、東西ドイツの統一は成し遂げられたのである。
 (4)無論、東西ドイツには厄介な核問題など存在しなかった。
 南北朝鮮の場合はどうか。
 (1)両国の経済力の差は、およそ20対1と言われる。経済的には、韓国が北朝鮮を飲み込んでしまうだろう。長期間、韓国は北朝鮮を支援しなければならない。だが、果たして、韓国にその体力があるだろうか。
 (2)北朝鮮の国民は、民主主義を殆ど知らない。他方、韓国国民は民主主義の重要性を知っている。この両国民のイデオロギー・ギャップを埋めることは容易ではないだろう。
 (3)国際環境はどうか。北のバックにいる中国としては、韓国主導の朝鮮半島統一を歓迎しないだろう。在韓米軍の影響力が鴨緑江まで及ぶのを恐れているからである。逆に、米国は北朝鮮主導の朝鮮半島統一は、断固反対するに違いない。民主化された韓国が消滅するからである。
 (4)米国と周囲の国々(日中ロ)は朝鮮半島の「非核化」を望んでいる。だが、南北朝鮮の指導者層には、半島に核が存在すれば、いざと言う時に米国をはじめ周囲の大国と渡り合える(あるいは大国に脅されずにすむ)と考えているふしがある。従って、この点からも(韓国とタッグを組む)北朝鮮が核兵器を完全廃棄する可能性は極めて低いのではないか。
 以上、東西ドイツ統一と比較すれば明らかな通り、いくら南北朝鮮が和平ムードを“演出”しても、南北統一までの道のりは極めて遠いと言わざるを得ない。