澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -371-
「下放」の再開を検討し始めた習政権

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 目下、習近平政権は、今後、3年間で(すなわち2022年までに)1000万人の中高生、及び大学生を農村に送り込む計画だという。極めて不可解な話が持ち上がったのである。
 「下放」は、正確には「上山下郷運動」と言う。建前としては“自発的”に都市から農村へ行くとされる。だが、実際には、“強制的”に農村へ送り込まれる。
 特に「文化大革命」(1966年~76年。以下、「文革」)時代、1968年、毛沢東主席が都市の知識人青年約1600万人を農村へ送り込んだ。失業対策の側面もあったが、毛主席としては、(紅衛兵を含む)知識人青年が目障りだったのではないか。
 結局、大部分の青年が二度と都市へ戻れず、不遇な人生を送っている。
 周知の如く、中国では「都市戸籍」と「農村戸籍」に分けられ、「農村戸籍」を持つ人は、原則、都市へは住めない。だが、逆は可能である(現在、中国共産党はこの「都市戸籍」と「農村戸籍」の廃止を検討しているという。しかし、両戸籍の廃止によって、自由な人の移動は、中国社会に混乱をもたらすだろう)。
 実は、「文革」時、「下放」の結果、大学は殆んど“空洞化”した。そのため、中国の科学技術の発展が遅れた。「文革」後、日本へやって来た中国人技術者がONとOFFの区別さえできなかったというエピソードさえある。
 1962年、当時、国務院副総理だった、習主席の父親、習仲勲が、“反党小說”『劉志丹事件』に関わったと決めつけられ、失脚した(1979年、同事件は現代の「文字の獄」だったとして、事件関係者は名誉回復された)。
 当然、習近平主席は「反革命分子」の子弟とレッテルを貼られている。北京市に住んでいた習主席も、15歳で陝西省延安市へ「下放」された。習主席は「下放」後、まもなく当地から逃げ出し、連れ戻された。主席本人も「下放」で苦労しているはずである。
 それでも、習主席は党幹部の息子だったため、最終的に北京へ戻って来ることができた。そして、主席は、当時、入試が簡単だった清華大学へ入学している。
 因みに、習主席は、1998年から2002年にかけて、清華大学大学院に通って、博士号を取得したという(中国では、習主席をはじめ、他の最高幹部らの博士論文は、皆、“国家機密扱い”となっている)。
 さて、今回、なぜ習近平政権は、再び「下放」を行おうとしているのか(中国共産党は、知識人青年の知識や科学技術を農村にまで拡げたいから、と主張しているが、本音は別のところにあるのだろう)。
 まず、第1に、今年(2019年)は、1919年の「五四運動」100周年、1989年の「天安門事件」30周年に当たる。習政権は、それを強く意識しているのかもしれない。両者共に、大学生等知識人若者が主体となって起きた運動だった。
 近年、中国では、大学生や高校生が当局に抗議する事件が発生している。前者としては、昨2018年夏、左翼大学生(日本語と逆で、“右翼”の愛国大学生)が労働者の権利を守れと立ち上がった。後者としては、今年3月、湖北省天門市の高校3年生が自分達を受験させよと約1000人規模のデモを行っている。
 そこで、習政権は若い知識人らを農村へ行かせて、言動を「封じ込め」ようとしているのではないだろうか。
 第2に、習近平主席は、自らの力を内外に見せつけ、威信を高めたいのではないか。習主席は、毛主席の後継者を自認している。そのためのアピールかもしれない。
 しかし、それで、農村へ強制移住されられる知識人青年はたまったものではないだろう。
 翻って、中国共産党は、「中国製造2025」によって、米国の科学技術を凌駕する目論見ではなかったのか(今年3月、なぜか全人代における李克強首相の「政治活動報告」では「中国製造2025」が語られなかった)。そして、中国が米国に代わって、世界帝国として君臨するつもりではなかったのだろうか。
 そのためには、習近平政権は有為な知識人青年を政治優先の「下放」などしている場合ではないはずである。北京のこれからやろうとしている「下放」は、必ずや中国の科学技術の遅れをもたらすに違いない。
 以上のように、習政権の計画している「下放」は、実に矛盾に満ちている。