ハロウィンは田舎もんの馬鹿騒ぎ

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政策提言委員・元参議院議員 筆坂秀世

 ハロウィンという言葉を聞いて真っ先に想起するのは、1992年10月、米国ルイジアナ州の町で日本人留学生が射殺された事件である。交換留学によって留学していた愛知県の高校2年生が、ホームステイ先の少年と仮装してハロウィンパーティーに出掛けたのだが、訪問先の家を間違ったために射殺されてしまったという事件だ。
 私もそうだったが、多くの日本人は、この事件によって初めてハロウィンという奇妙な行事があることを知ったと思う。この行事は、古代ケルト人が行なっていた収穫祭や悪魔祓いが起源だとされているように、宗教的な意味合いを持つものだった。何故仮装するのかと言えば、悪霊や魔女にとり憑かれないようにするためだそうである。
 それが何故、渋谷での馬鹿騒ぎになったのか。馬鹿が多いからだというしかないが、ハロウィンとは何の関係もない。渋谷センター商店街振興組合の小野寿幸理事長は、「残念無念、怒り心頭としか言いようがない。あれはもう変態仮装行列だよ。ここまできたらもう暴動だ」と語り、「自分の住んでいるところでやってみろ」と憤っていたが、その通りである。
 大体、こういう時に渋谷に来て馬鹿騒ぎをするのは「田舎もん」のやることだ。「田舎もん」というのは、田舎の人ということではない。「野暮で垢抜けない奴」ということだ。原宿の竹下通りは、1970年代末頃には、「竹の子族」という言葉が生まれるほど若者が溢れる街になり、今でも人気のスポットとなっている。だがこの近所に住む友人に聞いたところ、竹下通りに行くことは殆んどないそうである。そういうものなのだ。
 渋谷近辺に住んでいる人が、否、渋谷だけではなく東京の都心に住んでいる人が、自分達が暮らす街であんな馬鹿騒ぎをするわけがない。事実、暴動を見ていた人の感想をネット上で見ることが出来るが、その多くが、田舎者が騒いでいるという趣旨の感想を述べている。要するに日頃の鬱憤を変態仮装と痴漢や盗撮、暴飲と暴力で憂さ晴らしをしているだけなのだ。
 何でも流行り物に乗っかれば良いというものではない。ところがテレビのニュースなどを見ていると子ども会や児童館などで、ハロウィンが盛んに行なわれているようだ。何故そんなに安直なのか。NHKのEテレに「晴れ、ときどきファーム」という番組があるが、ここでも10月末に「“愛され”カボチャでハロウィン」という放送をしていた。たまたま少し見てしまったのだが、この中で女性タレントが、「ハロウィンでお菓子を貰えるのは子ども達の楽しみだから」という趣旨の発言をしていたが、日本のどこにそんな習慣があったのか。
 カボチャは栄養源豊かな緑黄色野菜である。カボチャをくり貫いてお面にし、仮装行列などする必要などさらさらない。煮ても、揚げても、焼いても美味なのがカボチャである。この貴重な野菜を子どもにしっかり食べさせることこそ大人の責任だ。