明治150 年ところどころ
―幻の「百年計画」―

.

現代史家 秦 郁彦

 本年(2018 年)は、明治維新から150年の節目ということで、官民を通じ関連のイベントが並び、識者の感懐や解説がメディアを賑わせているが、些か盛り上がりに欠けているようだ。
 何故か。いくつかの理由が挙げられよう。第1は明治・大正・昭和を経て、平成が終わろうとしている現時点との「地続き感」や「既視感」が薄れていることである。
 既に昭和初年に遡り、明治からの決別を告げる先例はあった。「降る雪や明治は遠くになりにけり」と俳人中村草田男が詠んだのは1931年だが、その頃巷では2・26事件を引き起こす青年将校団が、「昭和維新」を目指すクーデター構想に熱中していた。
 そろそろ「昭和は遠くになりにけり」が出てくる時節かもと予想していたら、最近の朝日川柳欄で「降る雪や明治はそんなによかったか」という苦味走ったパロディ風の句を見つけた。明治を「坂の上の雲」と礼讃する風潮への異議申し立てにもなっている。
 第2は勝者によって形成されたとする明治維新の歴史認識(薩長史観)を問い直そうとする修正主義者たちの台頭である。長州出身で政権担当中の安倍晋三首相は、折にふれ吉田松陰や高杉晋作を称揚するお国自慢風の発言を繰り返してきた。明治50年は寺内正毅、明治100年は佐藤栄作と、いずれも長州出身の首相だったと述べたこともある。よほど郷土愛の強い人でないと気が付かぬ視点だが、はからずもくすぶっていた隠微な反薩長気分を刺激した。

戊辰戦争も150年に
 それを窺わせる事件もいくつか起きている。2016年6月、靖国神社の創立150年を見据えた共同通信のインタビューで、靖国神社の徳川康久宮司は、明治維新の見方について「賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と呼びたい。幕府も会津も日本全体のことを考えていた。戦争になったのは価値観の違いからだ。向こう(官軍) が錦の御旗を掲げたので、幕府は賊軍にされてしまった」と語った。因みに徳川宮司は最後の将軍・慶喜(よしのぶ)の曾孫に当たる。
 そのあとすぐに亀井静香代議士と石原慎太郎が、西郷隆盛や会津藩士らの「賊軍」も靖国に合祀すべきだと申し入れた時も、宮司は「すぐは無理だ」と答え、明快に否定しなかったのが神社界に波紋を広げ、ネット上でも論争を引き起こす。「150年間封印されていたパンドラの箱を開けてしまったのだ」とも評された。