ASEAN共同体の静かな幕開け
−その課題と日本の貢献−
顧問・元タイ国駐箚特命全権大使  小島誠二

ASEAN共同体の静かな幕開け―新たな歩みのはじまり
 昨年末ASEAN共同体が発足した。それに先立つ11月、ASEAN10か国の首脳は、マレーシアのクアラルンプールにおける記念式典に出席し、ASEAN経済共同体(AEC)発足に関する宣言に署名した。ただし、共同体の発足は静かなものであり、日本国内においてもそれほど大きく報道されなかったような印象を受ける。ASEAN共同体の発足が、ASEAN統合の通過点に過ぎず、これまでの進展を振り返り、今後の方向を確認する機会を提供するものに過ぎなかったということであろう。

ゆっくりではあるが、着実な統合の流れ
 筆者が外務省アジア局の課長としてASEANを担当していた1990年代の初め、ASEANでは「事実上の統合」が先行し、制度面では1992年にASEAN自由貿易地帯(AFTA)が創設されたに過ぎなかった。しかしながら、2000年代になってASEANは「制度的な統合」を着実に進めているように見られる。2003年にはASEAN首脳会議において「第二ASEAN共和宣言」が採択され、2020年までに「安全保障共同体(ASC)」(その後「政治・安全保障共同体(APSC)」に改称)、「経済共同体(AEC)」及び「社会・文化共同体(ASCC)」を設立することに合意し、その後設立時期を2015年末に前倒しすることが決定された。また、2009年3月には、ASEAN元首・首相により「ASEAN共同体のためのロードマップに関するチャアム・フアヒン宣言(2009~2015)」が発出され、3つの共同体の「ブループリント」が示された。その間、2007年にはASEANの目標と原則、組織、意思決定方式、紛争解決、運営・手続き、対外関係等を定めるASEAN憲章が採択され、(1)ASEAN議長国制度の導入(従来の制度の改善)、(2)首脳会議の意思決定機関としての位置付けの明確化、(3)ASEAN調整理事会と共同体別閣僚理事会の新設及び(4)ジャカルタにおける常駐代表委員会の新設が実現した(2008年発効)。

3つの共同体のブループリント
 前記ロードマップは、ASEAN共同体のブループリントを100ページ以上にわたって詳細に描くものであり、それぞれの共同体の主要な「特徴」を次のとおりとしている。
(政治・安全保障共同体)「価値と規範を共有する、ルールに基づく共同体」、「総合安全保障のための共有された責任に基づいた、結束し、平和で、安定し、強靭性のある地域」及び「ダイナミックで外に向かう地域」

(経済共同体)「単一の市場と生産拠点」、「高い競争力を持つ経済地域」、「衡平な経済発展を目指す地域」及び「世界経済に十分統合された地域」

(社会・文化共同体)「人間開発」、「社会福祉と保護」、「社会正義と権利」、「環境持続性の確保」、「ASEANアイデンティティーの構築」及び「発展格差の是正」

ASEAN共同体成立に至るまでの足取り
(政治・安全保障共同体)政治・安全保障面でのASEANの成果は、経済面のそれと比較すれば限定的なものにとどまっていると言わざるを得ない。政治面では、内政不干渉の原則が存在すること、東アジアの安全保障体制が米国を中心とする「ハブ・アンド・スポーク」構造であること等に起因する。しかし、1993年のASEAN地域フォーラム(ARF)の設立(いわゆる協調的安全保障メカニズムの導入)、2010年の拡大ASEAN国防大臣会議の創設等は、域外国を巻き込んだ安全保障の取り組みとして注目される。政治・安全保障面での課題は、ASEANとして加盟国の民主化の定着にどう貢献していくか、二国間の紛争の調停にいかに有効に対処するか、南シナ海を巡る問題にASEANが一体として対処し、中国との間で懸案となっている行動規範(COC)を取りまとめることができるか等であろう。

(経済共同体)AECの設立で、6億2000万人の人口を擁する「単一市場と生産基地」が成立し、そのGDPの規模は約2兆5700億ドルとなる。これまで、AECの実現に向けて物品、サービス、投資分野の自由化が行われてきた。前述のとおり、1992年にはAFTAが創設され、その後サービスや投資の分野でも協定が作成され、サービスの自由化、投資の促進・保護等に対する取り組みがなされてきた。その結果、物品貿易の面では、先行6か国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール及びタイ)において関税は2010年にほぼ撤廃され、2018年までには全域で関税撤廃率を98%以上に高める計画である。ただし、サービス貿易の自由化には例外が設けられ、金融自由化は2020年が目標年とされ、サービス産業への外資出資比率は70%に抑えられ、熟練労働者の移動は進展が遅れている。2015年11月のASEAN首脳会議で採択された今後10年間の新たな「ASEAN経済共同体(AEC)ブループリント2025」は、物品、サービス貿易、投資、人の移動等の分野で様々な措置を規定しているが、それぞれの措置の達成期限は明記されていない。

(社会・文化共同体)ASCCの主要目標は、「人々を中心とし、社会的に責任のあるASEAN共同体」を実現することにある。そのための活動は多様であり、関係する閣僚会議の数も10以上に上っており、ASCC理事会がASCC関連のプロジェクトの統括に当たることとなっている。社会・文化に関連するプロジェクトは、ASCCとして計画し、実施すべきものとそれぞれの加盟国が援助国・機関からの協力を得ながら、個別に計画し、実施するものに分けられるが、ASCC理事会が加盟国間の調整、援助国・機関との調整、NGOを含むその他の実施主体との調整をどこまで行うかは今後の課題である。

新しい統合の在り方―多様性の中の統合
 従来は、経済統合のあるべき姿を描き、それに照らして、ASEANの統合の遅れを指摘する論調が多かった。制度面の遅れが政治体制、経済発展段階、宗教、言語、文化、民族等の多様性に起因するという反論もなされてきた。ただし、1997年のアジア通貨危機後の経済成長の減速、WTOの下での多角的交渉の停滞、中国やインドの台頭等のASEANの国内経済情勢及びASEANを取り巻く情勢の変化を受け、ASEANの投資先としての魅力を高め、経済成長を維持していく必要が生じ、より強固な共同体の構築の機運が高まった。ただし、その目指すものは、EUのような通貨同盟や完全な経済共同体ではない。ASEANの多様性のうち、域内の経済発展段階の違いのようなものは、今後解消が図られていくであろうし、そのことが望ましいことは言うまでもない。しかし、文化等の多様性は、グローバル化する世界においても、生き残っていくであろうし、むしろ維持されていくべきものである。ASEANは、一方でASEANアイデンティティーを醸成しながら、ASEANの豊かな多様性を前提としたEUとは異なる「新たなタイプの統合」を目指しているように見える。

重層的な地域協力の一つとしてのASEAN共同体
 ASEANは制度化が進んだ地域協力ではあるが、東アジアにおける唯一の地域協力の枠組みではない。政治・安全保障面では、今後とも米国との二国間同盟が主要な役割を果たしていくであろう。ASEANの中心性に基づいて運営されているとは言え、ASEANを超えた枠組みであるARFもある。経済面では、交渉が終了した環太平洋パートナーシップ(TPP)、2016年の交渉終結を目指す東アジア地域包括経済連携(RCEP)、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)という将来構想もある。また、開発面では、援助国・機関が引き続き加盟国との間で個別に協力を進めていくことになる。その意味で、ASEAN共同体の果たす役割は、そもそも限定的であり、わが国としても、政策目的に応じて、ASEAN、ASEAN+3、東アジア首脳会議(EAS)等の枠組みと二国間協力とを相互補完的に組み合わせていくことが大切である。ASEANとしては、様々な二国間協力及び多国間枠組みが存在する中で、自己の中心性、独自性、優位性等を維持・発展させていくことが求められていると言えよう。

ASEAN共同体の今後の課題と日本の貢献
(ASEAN共同体の課題)ASEAN諸国は、個別に、そして組織としてのASEANを通じて、(1)加盟国における民主化の定着、(2)領土紛争等の平和的解決方法の確立、(3)国内と域内の所得格差の是正、(4)いわゆる中所得国の罠からの脱出、そのための産業の高度化・高付加価値化、研究開発、インフラの整備・高度化(都市鉄道、高速鉄道、国境をまたぐ経済回廊等の整備)、高度な人材育成、規制緩和等、(5)環境・気候変動問題への対応、(6)社会保障制度の構築・育成、(7)ASEANのアイデンティティーの確立といった諸課題に取り組んでいかなければならない。

(ASEAN共同体の共有する価値・規範への支持)前述のとおり、「価値と規範を共有する、ルールに基づく共同体」は、APSCの主要な特徴の一つとされている。ASEAN共同体と価値・規範を共有し、国際社会におけるルールの重要性を訴えてきた日本としては、国際社会及び地域の問題を解決するに当たり、このような共通の観点・立場からASEANを支持し、ASEANと協力していくことが大切である。

(ASEAN連結性強化等への協力)これまで、わが国、二国間のODA、国連等の国際機関、日・ASEAN統合基金(JAIF)等を活用してASEAN諸国の経済発展、域内格差是正、ASEAN連結性の強化等の取り組みを支援してきた。JAIFについては、2013年総額1億ドルの「JAIF2.0」を追加拠出する旨を表明し、(1)海洋協力、(2)防災協力、(3)テロ・サイバー対策及び(4)ASEAN連結性強化の4つの重点事項を柱として、協力を進めている。また、2015年5月「質の高いインフラパートナーシップ」を発表し、アジア開発銀行とともに、ASEANを含むアジア地域に今後5年間で総額1100億ドルの質の高いインフラ投資を提供することとしている。この分野は、日本のインフラ輸出とも関連するものであり、政府と民間が協力して、ASEAN側のニーズに応えていくことが望まれる。

(温暖化対策への協力)温暖化ガスの最大排出地域である東アジアにおける温暖化対策における協力は重要である。わが国は、東アジア低炭素成長パートナーシップ構想の下で、日本の取組・経験や環境技術を共有することによって、国連システムを補完する温暖化対策の地域協力を推進し、温暖化対策と経済成長を両立させる低炭素成長モデルの構築を目指してきた。また、日本が進める二国間クレジット制度(JCM)に参加する16か国のうちの6か国がASEAN加盟国(カンボジア、インドネシア、ラオス、ミャンマー、タイ及びベトナム)となっている。ASEANとしても、「環境持続性の確保」を掲げており、環境・気候変動問題における協力を今まで以上に重視していくべきである。




ホームへ戻る