澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -78-
春節直前の台湾南部地震

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 今年2月6日(旧暦の大晦日前日)午前4時頃、マグニチュード6.4の地震が台湾南部を襲った。台湾は日本と同じ震度階級を使用しており、今回は最大震度6である。
 震源は高雄市北部の美濃区だが、被害が最も酷かったのは台南市だった。震源の深さは約16.7kmと浅かったので、被害が大きくなったと思われる。
 特に被害が大きい17階建ての台南市永康区「維冠金龍ビル」は、手抜き工事のためビルが倒壊した。同ビルは、鉄筋やコンクリートでの強度が不足していたのである。
 『読売新聞』によれば、2月13日に被災地入りした和田章・東京工業大学名誉教授が「(垂直の主筋を束ねる帯筋の)鉄筋の間隔が(30〜40cmで)広すぎる」と指摘している(本来ならば10cm程度だという)。手抜き工事をした業者3人(林明輝など)は、既に警察当局に拘束されている。

 さて、被災地の頼清徳台南市長(民進党)は、地震発生後、不眠不休で対応にあたった。しかし、台湾レスキュー隊の奮闘も虚しく、2月14日現在、犠牲者は116人に達したのである。
 馬英九現総統は「目下、我々は皆、台南人だ」と公言したが、その行動が注目された。2009年夏、台風8号で主に南部が被災した「8・8水害」の時、馬総統の腰は重かった(その際、高雄の一小村が土砂崩れでほぼ全滅している)。
 今年1月16日、総統に当選した蔡英文民進党主席(5月20日就任予定)は、春節のスケジュールを全てキャンセルした。地震発生2日後の2月10日正午、蔡主席は台南市で被災者を見舞っている。その直後、入れ替わるように、馬英九総統が台南市入りした。
 中国の習近平主席は「(台湾海峡)両岸同胞は、血は水よりも濃い家族だ」と述べ、台湾への支援を表明している。
 そして、NGO(非政府組織)の「中華救援隊」300人近くが旧正月を返上して、台湾南部の被災地へ向かった。だが、南部は「台湾人意識」が強いせいか、同救援隊の現場入りを厳しく制限したのである。結局、「中華救援隊」は何もせず、台湾を去っている。
 安倍晋三首相は、地震発生直後、馬英九総統に対し「支援供与の用意がある」とのメッセージを送った。我が国からは、台湾へ官民合同の「調査準備隊」5人が派遣された。しかし、被害が局地的だったので、救難隊の派遣は見送られている。
 地震発生後、日本からの救援物資が高雄から台南市へもたらされた。2月10日、早速、頼清徳市長がFacebook上で日本政府に対し、感謝の意を表明している。
 他方、地震発生直後、韓国人のベテラン救難メンバー3人が救助のため、現地入りした。だが、被災地では言葉が通じないため、何の助けにもならず、3人はスマートフォンをいじるだけだったという。
 現在、台湾は22ヶ国しか国交がないが、世界各国(日米が中心)から続々と台湾へ支援が行われている。
 実は、多くの国々から台湾の「中華民国紅十字会」(国際赤十字からは承認されていない)へ義援金や支援物資が集まる仕組みとなっている。ただ、同会は、一部の義援金を被災地へ届けず、自らが横取りしているとの疑念を持たれている。
 その点、「中華民国紅十字会」はアグネス・チャン氏が「親善大使」を務めている日本ユニセフ協会(国際機関UNICEFとは無関係の民間組織)と、相通じるかもしれない。ちなみに、黒柳徹子氏はアグネス・チャン氏と違って、UNICEF(国連児童基金)から直接「親善大使」の指名を受けている。

 ところで、2011年3月11日、我が国の東北地方はマグニチュード9.0という未曾有の地震に見舞われた。その際に贈られた人口約2300万人の台湾からの巨額の義援金(約200億円以上)は、日本人に感銘を与えた。
 それには伏線がある。1999年9月、台湾中部で大地震(台湾各地に大被害をもたらした「集集大地震」。死者2415人、行方不明29人)が発生した。李登輝政権末期、日本では小渕恵三内閣当時である。地震発生当夜、地理的にも近い日本のレスキュー隊が、最初に被災地へ駆けつけ救助活動を行った。
 つまり、多くの台湾人は約12年前、日本から受けた恩義を忘れていなかったのである。だからこそ、「3・11」の際、巨額の義援金が集まったに違いない。今回、我が国はその御礼を兼ねて、台湾への支援を行う番ではないか。


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