澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -84-
習政権による有名ブロガーのアカウント閉鎖

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 現在、中国は、今月3月から始まる「両会」(全国人民代表大会と人民政治協商会議)を直前に控えている。
 実は、習近平主席は、中国のネット上での言論空間を狭め始めた。ごく最近、3700万人以上のフォロワーがいる有名ブロガーの批判を封じるため、その「微博」(中国版ツイッター)のアカウントを閉鎖している。
 そのブロガーとは、華遠集団の総裁(華遠地産股份有限公司会長)の任志強(64歳)である。任の痛烈な批判は「任大砲」と呼ばれる。その手厳しい指摘は、習近平政権や中国共産党にも向けられている。
 特に、今年2月19日、習主席が官製メディアの「中央電視台」(CCTV)等へ訪問した時、「中央電視台」は党に対し“絶対的忠誠”を尽くすと公言した。
 それに対し、早速、任志強は異議を唱えている。任は「人民政府はいつから党政府に変わったのか?(人民政府が)使っているカネは党費なのか?」と疑問を呈した。また、「メディアが党に忠誠を誓い、人民の利益を代表しなければ、人民に見捨てられ、忘れ去られるだろう」と批判している。確かに、任の方が“正論”ではないか。

 最初、習主席は「五毛党」を使って任志強を攻撃させた(「五毛党」とは、ネット上で中国共産党を賛美する一方、党を批判する人間を非難するアルバイトである。この仕事では、1件当たり、1元の半分の5毛を受け取る)しかし、「任大砲」が辛辣に党中央を批判し続けるので、官製メディアまでもが任志強を「反党分子」として攻撃するようになった。
 実は、この任志強は「太子党」(父親の任泉生は国務院商業省副大臣)に属する共産党員で、北京市政協委員でもある。
 かつ、任志強は習主席の腹心、王岐山(「反腐敗運動」の中心的人物)と関係が深かった。「文化大革命」の際、任志強と王岐山は共に同じ所へ「下放」(青少年が地方で無理やり農業労働をさせられた)され、苦労した経験を持つ。2人は若い時から親しく、任にとって王は師というべき存在であった。
 目下、王岐山は、習主席と任志強との間で「板挟み」になっているのではないか。前者は命運を共にする盟友であり、後者は若い頃からの無二の親友である。
 仮に、任志強が「上海閥」や「共青団」に属していたならば、習主席はすぐさま任を逮捕・拘束していたに違いない。そして、任を裁判にかけ、有期刑にする公算が大きいだろう。
 今まで、習主席は、同じ「太子党」の人間を“打倒”する事は控えてきた。仲間内での“同士討ち”は避けたいという思惑が働いてきただろう。依然、「上海閥」(および「共青団」)との死闘は続いているからである。だが、さすがに習主席も任に対し、堪忍袋の緒が切れたのではないだろうか。
 ただし、習主席としては、同志、王岐山への配慮が働いている可能性もある。したがって、任志強に対しては、せいぜい党籍を剥奪する程度かもしれない(現時点では、任が逮捕・拘束されるかどうかは微妙なところである)。

 ところで、2012年3月、「太子党」の薄熙来が失脚した際、「太子党」の中では深刻な“亀裂”が生じた。それを救ったのが、葉剣英・全人代常務委員長の息子、葉選寧(葉選平・ 政治協商会議副主席の弟)だったとされる(「太子党」の“精神的支柱”と言われる)。その時、葉選寧は、明確に習近平を支持し、「反薄熙来」の立場を貫き、「太子党」内の動揺を抑えた。
 周知のように、重慶市トップだった薄熙来は、同市で「唱紅打黒」(革命歌を歌い、マフィアを叩く)という「第2の文革」を行っていた(これが、現在の習近平政権の“政策モデル”となっている)。そのため、重慶市民には絶大なる人気を誇っていた。
 そんな薄に対し当時の胡錦濤政権(「共青団」)は危機意識を持った。薄は“危険人物”と見なされたのである。
 そして、薄熙来は、2012年2月に起きた「王立軍事件」(薄の部下、王が、成都の米総領事館へ駆け込んだ事件)の責任を取らされ、失脚した(間接的には、薄熙来は、2011年11月、<薄の妻>谷開来が、息子<薄瓜瓜>家庭教師ニール・ヘイウッドを殺害した事件への関与も疑われている)。
 その後、薄熙来は裁判にかけられ、無期懲役の判決を言い渡され、現在、服役中である。※参照:チャイナウォッチ16


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