【特集】米・露・中・韓情勢が及ぼす日本への影響

中国、韓国と米韓同盟:
ロシア、日本、台湾と日米同盟

顧問・ジェームス E.アワー日米研究センター長
ヴァンダービルト大学名誉教授
 ジェームス E.アワー
auer中国・ロシア・韓国・日本
 1870年に日本が置かれた地理的状況は、当時英国が置かれた状況によく似ている。日本は、ヨーロッパ大陸と離れた場所に位置していた英国のように、中露2大国による支配に影響を受けるアジア大陸から少し離れた場所に位置する島国であった。当時の日本は、中国による海軍力の台頭とロシアによる太平洋への展開を恐れていた。日本の力は、地理上でも数値的にも小さかったが、英国のそれよりも地理的に集中できていた。日本海軍が強力であり続ける限り、この地域における抑止力として効果を発揮していたため、中国もロシアも日本に対して全力を注ぎ込むことは不可能であった。

 日本は、この地域における戦略的な立場を確立するために、アジア大陸の東側沿岸に防御壁を築くことを狙った。日清戦争(1894年〜1895年)と日露戦争(1904年〜1905年)は、朝鮮半島が中国或いはロシアの支配下に陥るのを防ぐこと、およびこの地域を囲むように台湾や樺太を日本の領土に組み入れることによって、日本のアジア防御壁を強化するという重要な問題のために戦われたのであった。

 鳩山由紀夫氏は、中国に阿りまた米国を苛立たせたりしながら、日本、米国、中国との間に平等な関係、所謂、正三角形外交関係を持ちたいと述べた。これと同じように、朴槿惠大統領政権は、短期間は中国から韓国への支援が期待できると考え、反日を主張しながらも鳩山氏と同じような姿勢を採っている。しかしながら、朴大統領とその政権の度を越えた反日行動は、日本国民の反感を買うだけでなく、日本の忠実な同盟国である米国をも苛立たせているのだ。

 英国、ドイツ、イタリア、フランス、オランダ、日本、米国というこれら全部の国々は、植民地を手に入れた。そしてこれらの国々は、1900年代半ば以降、第2次世界大戦がこれらの国々の帝国を終わらせるまでの殆どの期間、植民地を維持し続けた。大きな例外は、ソ連であった。ソ連は東ヨーロッパと中央アジアでその領土を著しく拡大したが、1990年にソ連が崩壊したとき、それを見た歴史家の中には、終に帝国主義が終焉したと思った者もいた。

 しかし、1949年に政権に就いた中国共産党(CCP)は、清王朝の帝国主義的拡張を復活することに心を傾けたようであった。

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