【連載】台湾で愛される日本人(6)

文化財保護に尽力した日本人最後の台南市長

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所准教授 丹羽文生
miwa 鄭成功所縁の都市
 多くの古寺廟や近代的建造物が併存する台南市は、「台湾の京都」と呼ばれている。何とも言えない風情と趣があり、随所に台湾400年の足跡が残されている。中でも至る所で目にするのが、17世紀半ばに台湾を支配していた鄭成功所縁の史跡である。
 鄭成功と言えば、近松門左衛門の人形浄瑠璃「国姓爺合戦」の主人公のモデルで知られる。長崎県で中国人と日本人のハーフとして生まれ、7歳の時に父親の鄭芝竜の故国である中国に行き、その後、文武の道を究め、軍人となる。
 「反清復明」をスローガンに、当時、滅亡の淵にあった明朝の再建に向けて孤軍奮闘し、清朝に徹底抗戦を挑みながらも大敗を喫し、勢力立て直しのために台湾に向かった鄭成功は、1661年4月、この地を占拠していたオランダを駆逐し、鄭氏政権を樹立して、今の台南市を「大陸反攻」の本拠地とした。39年という短い生涯だったが、台湾では、孫文、蔣介石と並んで「国神」として崇められており、中国でも英雄扱いされている。
 台南市には、そんな鄭成功の歴史的遺産が数多く残っているが、中でも観光客に人気なのが、オランダ人によって築城された赤煉瓦造りの楼閣「赤嵌楼」である。「紅毛楼」とも呼ばれ、原名は「プロヴィンティア」、鄭氏政権の時に「東都承天府」に変り、その当時、行政庁舎として使われた。国家1級古蹟に指定されており、台南市のシンボルとなっている。
 その赤嵌楼の中に1人の日本人の胸像が置かれている。日本統治時代末期に台南市長を務めた羽鳥又男である。これは奇美実業のオーナーである許文龍の作品で、羽鳥の生誕100年を記念して2002年4月に寄贈されたものである。

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