【講座】

シナ事変への道(上)

政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇
fukuchi I 本物の侵略者は誰か
 東アジアの安定を求める日本民族の当然の国家行為を妨害したのは、明らかに英米やソ連だった。第2次世界大戦の「連合国」側の巨頭であることに注意すべきである。しかも、この勢力は、綿密に「共同謀議」して容易にバレないように巧妙な日本殲滅戦略を推進した。その戦略とは、シナ民族を対日戦争に嗾けて東アジアを分断し弱体化して、最後はこの広大な東アジア地域を支配しようとするものである。シナ事変はそのようなシナリオに沿って進展したのである。
 以前、本季報所載の「満州事変について」(本季報58・59号所載)で述べたように、満洲事変・満洲建国とは、対露戦勝以後に進められた東アジアの安定化を模索する我が国の国家運動の流れの一つの到達点だった。我が国は、南満洲開発で東アジア安定の橋頭保を築く段階に入ったのである。
 然るに、これから見て行く満洲建国以降は、日本の満洲侵略を許すなという支那側から仕掛けられて幾度にも及ぶ局地軍事衝突、1936(昭和11)年12月の西安事件、37(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件を経て、上海事変、シナ事変へと拡大する戦争の流れ、更には遂に対米英戦争にまで発展してしまう、あの長期戦争の流れは、我々日本民族の立場から回顧する時、満洲事変までとは明らかに別種の動因から生起した流れと見る必要があるのである。
 言うまでもなく、現在の日本を含む世界に一般的な歴史解説は、1928(昭和3)年から日本軍国主義者の「邪悪な大陸侵略戦争」は開始され、満洲事変からシナ事変、そして日米戦争(第2次世界大戦の一環)へと繋がる一連の流れだという。これは、戦勝国(連合軍)側に都合の良い、つまり「本物の侵略者」が主張する歴史解説である。我が国が大東亜戦争で大敗北したとき、「連合国」側は、盗人猛々しくも、悪辣な侵略戦争の主体は日本だと主客を摩り替えたのである。それは恰も「田中上奏文」のシナリオに沿って事態は進展したから、日本が主体の侵略戦争だという仕掛けである。

続きをご覧になりたい方は...



ホームへ戻る