【特集】戦後70年、我が国の外交と安全保障を考える

戦後70年の日華・日中関係

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司
はじめに
 1945年、第2次世界大戦(アジア・太平洋戦争or大東亜戦争)終結後、既に約70年の時が経つ。我が国と蒋介石率いる中華民国は先の大戦で戦火を交えた。だが、日本の敗戦とともに、両国の運命は大きく変わる。我が国は、一時、主権を喪失した。一方、中華民国は「国共内戦」の結果、台湾へ「亡命」する。
 本稿では、日華・日中の過去70年を@1945年〜1952年(GHQ〈連合国軍最高司令官総司令部〉支配下の日本および大陸時代の中華民国・台湾へ「亡命」した中華民国)、A1952年〜1972年(日華〈日本と中華民国〉関係20年=日華関係樹立〜日華断交まで)、B1972年〜1989年(日中〈日本と中華人民共和国〉関係前期17年=日中関係正常化〜天安門事件まで)、C1989年〜2015年(日中関係後期27年=天安門事件〜現在まで)と4期に分ける。

1.1945年〜1952年(GHQ支配下の日本および中華民国)
 我が国は第2次世界大戦終結時、1945年7月の「ポツダム宣言」を受け入れた。併せて1943年の「カイロ宣言」も受諾し、澎湖島を含む台湾島を放棄した。そして、日本は連合国に降伏し、GHQの支配下に入った。当然、この時期、日本は他国との外交関係を結べなかったのである。
 さて、この「カイロ宣言」の中には、「満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある」という一文が含まれている(但し、この“正文”は、世界中のどこにも存在しない。存在するのは“プレス・リリース”のみである)。
 まず、この「台湾を中華民国に返還する」という部分だが、1943年当時、まだ(中華)人民共和国は存在していなかった。また、今日に至るまで、中国共産党は一日たりとも台湾を統治したことがない。そして、今もなお、台湾の中華民国は現存する。従って、台湾が中華人民共和国に返還(or併合)される根拠が弱い。
 大戦中、蒋介石率いる中国国民党(以下、国民党)は、日本との戦闘でしばしば苦杯をなめた。日本の敗戦後間もなく、米国の後押しもあって、蒋介石と毛沢東は、重慶での会談で「連合政府」樹立を模索した。しかし、すぐに国民党と中国共産党は決裂し、再び「国共内戦」に突入したのである。

続きをご覧になりたい方は...



ホームへ戻る