はじめに
今年は2015年。敗戦の年、即ち1945年から70年が経とうとしている。考えてみると、日本が近代国家の仲間入りをした明治維新が1868年である。そこから1945年までが77年。徳川時代から明治時代にかけて日本は国の有り様を一変させたが、戦前から戦後へと、また国の形を大きく変えた。そして、「戦前」と呼ばれた時代と「戦後」と呼ばれる時代が、ほぼ同等の時間的な幅を持とうとしている。
戦前から戦後にかけて、日本では様々な分野で大きくその形を変えたわけだが、中でも外交と安全保障の分野で米国が占めている位置付けは、その最たるものの一つに違いない。外交的に対米関係を基軸とするだけでなく、対外的安全保障の主な手段として、自らの防衛力を保持することに加え米国との2国間の安全保障条約を結んでいることが死活的に重要となっている。
そうした原型は誰がどのように作り、継承されていったのだろうか。本稿では、特にその基盤が形成された1950年代の指導者達が選択した政策と構想を中心に論じる。尚、本稿は防衛省防衛研究所の見解を示すものではなく、筆者個人の見解であることを付言しておく。
日本占領政策の変遷
敗戦後、占領は6年以上の長期に及んだが、米国の対日占領政策は一貫していたわけではない。初期は、日本が再び米国にとって脅威とならないよう徹底的な非軍事化と民主化が図られた。現行憲法はその象徴とも言えよう。この頃、「日本の安全をどのように守るか」という問題よりも、「日本からの安全をどう守るか」の方が、米国を始め連合国の間では重要だったのである。
ところが、ヨーロッパで始まった冷戦が東アジアに波及してくるに伴い、1948年頃を境に対日占領政策の主眼が復興へと軸足が移された。時のロイヤル陸軍長官が日本を「反共の防波堤」と呼んだことに表れているように、日本をいかにパートナーとして養成するのかが課題となったのである。
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