《特別企画》日本と中国の戦後70年を考える
 
戦後 70 年・安倍首相談話をどう読むか

政策提言委員・拓殖大学客員教授 藤岡信勝


●鎮魂と和解が基調
 8月14日、戦後70年安倍信三首相の談話が発表された。
 この日午後6時から始まった記者会見のテレビ中継を、私はメモを取りながら観た。それには理由があった。前日、朝日新聞社会部の記者から電話で安倍談話へのコメントを求められていたのだ。
 安保法制論議の最中、テレビ局がこぞって戦争体験の特集番組を放送しているが、その多くは偏向した立場からの情報操作であると指摘されている。しかし、取材されて苛烈な戦争体験を語っているお年寄りの体験自体は真実である。
 例えば、13日にNHKが放映した従軍看護婦の戦争体験である。彼女達は戦地で医療品が不足し、十分な治療や看護ができなかったことを何よりも悔い、戦場では過酷な運命を体験していた。
 私はこうした番組のなかに、放送局の作為だけを見ようとして、そこにある戦争体験の深刻さを共有しようとする熱意に欠けているように思える保守系の人々の態度に不満を感じていた。戦争体験自体には右も左もなく、国民全体として共有すべきものだ。体験者が最後に語る「戦争を二度と繰り返してはならない」という言葉は、安保法制の必要性の理解に繋がるべきものであるにも拘らず、左翼・リベラル勢力の反戦運動に利用されていることは無念の極みである。
 そういう意味でも、英霊に対する尊崇の思いを反映している安倍談話の姿勢は、政治的にも重要なことであると思った。例えば、次の一節である。

 〈先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦等によって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。〉

 こうした首相の肉声とも考えられる言葉は、戦争の犠牲を繰り返さない誓いを国民が共有する上で、大切なメッセージであると感じた。




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