【特別寄稿】
生物兵器の実態―その知られざる重要性―

コマツ・リサーチ&アドバイザリー代表 小松啓一郎

 秋風の強いその日、筆者はワシントンD.C.の某高級ホテルのロビーにいた。そこを「最も適切な面会場所」に指定したのは、その日初対面の米国人紳士であった。紳士に引き合わせてくださったのは、英国オックスフォード大学の名誉教授である。教授は欧米社会で文字通り「国際関係論の権威」であった。
 教授とともに一階のロビーに入ると、既に到着していた米国人紳士は一つの丸テーブルを前にラフな普段着で座っており、筆者にもまるで昔からの友人同士が久しぶりに再会したかのように気さくに手を挙げて挨拶してくださった。丈の低い丸テーブルで向かい合って座ることになった。挨拶が終わり、紳士がにこやかに「本題」に入ったのであったが、内容は普通の日本人には考えも及ばない凄まじいものとなった。
 そもそも、この紳士は大変な経歴の持ち主である。類似の経歴の持ち主は第二次世界大戦終結までの日本にはいたが、その後の日本では考えられない。と言うのも、紳士は戦場の修羅を繰り返し経験してきた歴戦の勇士と呼ぶに相応しい人物だからである。
 筆者の前に座った米国人紳士は、つとに名の知れた米第101空挺師団の輸送用武装ヘリ「コブラ」のパイロットになったのを皮切りに、今日まで軍人としての経歴を営々と積んできた大佐である。ベトナム戦争では、軍用ヘリを操縦して約400回も出撃したが、無事に生き残ったという。既に20個もの勲章を受けている。
 また、アカデミックな分野でも活躍しており、米ピッツバーグ大学の大学院で国際関係論を学んだ後、最近まで国防大学で軍事戦略・作戦部(the Department of Military Strategy and Operations)の部長を務めてきた文武両道の才覚の持ち主である。
 我々一般人の日常的安全の確保という観点から重要なのは、この大佐が米下院・国土安全保障委員会の委員長から「米本土安全保障問題(homeland security)の最高権威の一人」と評され、あの2001年9月11日の「米国中枢同時多発テロ」(9・11テロ)の発生直後、真っ先に議会調査委員会での証言のために招かれた専門家の一人だったことだ。その後もテロの脅威を課題に米上院の各委員会でも証言してきた。
 筆者はそこで聞いた具体的な話の内容を機密扱いだと認識していたし、実際にそうであった。しかし、大佐自身がそれを後に出版してしまった。事態の深刻さを知れば知るほど、それは「もっと広く一般国民に認識されるべき危機要因だ」と判断せざるを得ないというのが出版の動機であったという。
 このような事情から、筆者自身も大佐にその内容の公開許可を求めたところ、快諾を得た。(但し、国際的に知られる「チャタム・ハウス・ルール」に従って、大佐の個人名については敢えて明示を避けることとする)。
 大佐は話の切り出しから、「生物兵器と言っても、実際にそのような兵器を御覧になったことはありますか」と尋ねてきた。勿論、筆者のみならず、同席していた英国人教授もそれを見たことはなかった。すると、大佐はおもむろに上着の左側の内ポケットにそっと手を差し入れた。そして、ボールペンか、ペン・ライトのような半透明のものを取り出した。




続きをご覧になりたい方は...



ホームへ戻る