週明けの各紙の世論調査では、野田内閣に対する支持率が様変わりに上がった。日経67%、読売65%、共同通信が62%、朝日が53%で、20%を切った菅内閣を考えると別の党のようでもある。政党支持率も軒並み自民党が上廻っていたのが逆転している。このことは国民が鳩山、菅内閣に失望していたのであって、必ずしも自民党の復活を望んでいたのではないことを物語る。民主党も残り2年の任期中に体制を立て直し、実績を上げれば、総選挙で勝って政権の続投はあるということだ。
野田佳彦首相の初の組閣人事は党内から好評だった。党内がホッとした理由は幹事長に小沢一郎氏の盟友といわれる輿石東氏を据え、小沢グループから2人を入閣させたことだろう。党内は菅時代の「脱小沢」抗争に疲れていた。一口で言えば「挙党一致」内閣だが、これをあっさりやってしまう所に野田氏の真骨頂があるのだろう。5分裂ぐらいに欠けた茶碗の欠け目を合わせて、ノリをつけ元の形にして、持っているかの如くだ。
同時に首相が始めたことは、党・内閣の政策決定過程の整理である。鳩山時代は政策決定の一元化の名のもとに、あらゆる政策を内閣が決定することになっていた。しかしこれでは党の意見は全く取り上げられない。そこで政策調査会を作り、玄葉光一郎氏が政調会長のまま国家戦略担当相を兼務する形に変えた。しかしこの形でも党と内閣の意思疎通を欠いた。バラマキ4Kは小沢幹事長が選挙対策としてぶち上げたもので、政府が所要額をはじき出したものではなかった。
マニフェストは3党合意で見直すことになったが、代表選でも小沢氏は「見直し反対」を唱えていた。見直しは岡田克也幹事長ら執行部が決めたもので、これを反故にしたのでは、国会運営は成り立たない。
今回、政府と党の関係について野田首相は党で了承決定したものだけを内閣に持ってくることに決めた。具体的にはあらゆる法律、条約は政調会で決定したものしか政府提案として国会に出さないというものだ。「党高政低」を鮮明にしたもので、自民党の政調、総務会を通してから政府提出するという形と本質的に変わらない。
この政策の要に座る前原誠司政調会長はかつて代表時代、「政策は党内の多数決で決める」原則を打ち出していた。その時の国対委員長が野田氏だ。当時の民主党は保守から革新までの寄り合い世帯で、政策におよそ整合性がなかった。この欠陥を矯正するには政調の要に前原氏を据えて、ここで内政、外交にわたってスクリーンにかけるのが最善だ。
反面、この方式の欠点は党内に族議員が跋扈する懸念で、民主党が当初、政調会を廃止した理由でもある。
このため民主党は政調会復活に当たって、「政調幹部会」を設置することにした。同幹部会には政府側から官房副長官(政務)と関係省庁の政務三役が出席し「政策決定の政府・与党一元化を担保する」という。
前原政調会長、仙谷由人政調会長代行の布陣だと政府組織の動かし方も知っているし、自民、公明へのパイプもある。加えて小沢側近の三井辨雄氏を政調会長代理に据えた。
野田首相が鳩菅内閣と際立って違う点は、党、内閣の関係を確立したのち、政、官、財界の意見を汲み上げ、じっくり人事に取りかかったことだ。この落ち着きが安心感を与えているのだろう。
(9月7日付静岡新聞『論壇』より転載)
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