大津市の中学2年生徒の自殺をめぐって澤村憲次・市教育長が「いじめだけが原因ではない」、校長が「アンケート調査では原因が究明できなかった」と述べた。これに対して越直美市長が「いじめがあったから自殺があった」と因果関係を認め、裁判で係争中ながら「謝罪し、和解する意向」を述べた。
教育制度に強い関心を寄せる大阪市の橋下徹市長はこの現象について「教育制度の膿中の膿が出た」とコメントした。この事件は教育委員会制度の無責任体制を如実に物語る事件だと言っていい。事件の真相以前に教育全体に関わるこの制度の是非を問わなければならない。
教育委員会制度は教育の政治的中立性を守る制度として占領軍が持ち込んだ制度である。果たして政治的中立が守られたかといえば、はっきりノーである。教育がうまく行き渡っていることを監視できるかと言えば、これもノーである。
各都道府県、市町村に教育委員会は設置されることになっている。教育委員会は通常5人で構成されており、メンバーは首長が推薦して議会の承認を得る。毎年1人ずつ任命し、各委員の任期は4年、途中で免職にしたり、全員を取り替えることができない。5人のうちの1人は首長部局に所属する教育長である。
教育委員会の最高責任者である教育委員長は互選によって選ばれる。多くの場合、地方の名士や古手の大学教授といった人が多い。教育委員は会議があった時だけの日当制で、教育長だけは“専門職”である。大津市の場合、事件があったのだから、教育委員会委員長が表に出てくるはずだが、実務を知らないから常時、教育長がマスコミに対応していた。
教育長が実態的に教育委員会を仕切っているのはどこの教育委員会も同じだ。この教育長になれる者は学校現場にいた時は日教組とうまく折り合って、昇進を重ねてきた経歴の者ばかりと言っていい。学校現場をかばい、首長部長をかばうのは出身の性である。
従って大津市の場合、本能的に「誰の責任でもない」ようにしようとの配慮が働く。しかし越市長は“並”の感覚を持つから、まぎれもなくいじめが原因だという感想を正直に表面に出したのだろう。
教育長や学校当局があまりに隠蔽に動くため、警察が前面に出てきて、原因究明に乗り出してきた。
常識で観察すると、市民に選ばれた市長が任命した教育委員会を市長が下知し、指図するのは当然だと思う。教育長は市長部局の職員だから、市長との意思疎通をはかってもおかしくない。しかし教育長が教育委員会の一員となると、市長は教育委員会を指揮することはできない。
この教育委員制度は09年に政府の地方分権推進委員会が全国一律の設置義務を見直す勧告を出した。大阪の維新八策にも「廃止」が盛り込まれた。教育行政は首長部局が一元的に責任を持つ方式にすべきだ。
(7月25日付静岡新聞『論壇』より転載)
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