野田第3次改造内閣の評価は新聞・テレビで出尽くしているが、要は世話になった人へのご褒美内閣、裏を返せば「さよなら内閣」ということになろうか。野田首相や輿石幹事長は、まだ「不満だ」という人を副大臣や政務官に起用し、党内の不満を沈静化させるというが、いずれ不満は表面化するだろう。わずか8人が離党すると言えば、民主党は衆院で過半数割れになり、内閣不信任案が可決されてしまう。
かつて自民党も過半数すれすれで政権を維持したことが何度もあるが、党内には一体となって政権を支えようという求心力が働いていた。それに比べると民主党は逆に遠心力が働いているようだ。小選挙区制の導入によって無理矢理、対抗勢力を作ろうと政界は動いてきた。永久与党だった自民党は“保守”という概念で一応固まっていたが、野党は“保守”あり、“革新”ありで党綱領も作れなかった。この人心を集める“核”が無かったことが、現在の遠心力ばかり働いて、すでに70人以上が脱党する現状を招いたのだろう。
かといって民主党をもう一度一からやり直すことはできない相談だ。現執行部を中心に純化させ、違和感を持っている人は吐き出すしか手はない。小沢グループが第3極としてキャスティングボートを握るような事態は生じないだろう。相対的な意味ではあるが本流(現執行部)を外れた異端者はやがて崩壊するだろう。民主党の致命傷はイデオロギーの不一致であり、その象徴が対中外交に対する姿勢だろう。鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎というトロイカ体制が日米基軸外交を破壊し、尖閣問題を招いたと言っていい。
この教訓から、日本の安全保障政策として中国を選ぶことはあり得ないし、日米中の正三角形論も成り立たないこともわかった。そういう発想の人が没落するのは当然なのだ。次の総選挙でその現実が立証されるだろう。
民主党は一旦、没落するだろうが、自民党の対極として再浮上し、政権交代可能な政党として存在してくれなければ政治は良くならない。このまま沈んでしまう可能性は一つある。
官僚に抱かれた政治のあり方にメスを入れない限り、この国は明治以来の官僚政治のままで終わる。「みんなの党」が底固い支持を集め「日本維新の会」が突然浮上したのは、両党ともが「統治機構の変革」、言い換えれば中央集権制の打破を言っているからだ。
霞が関一極集中で、多面的な経済、社会活動が活発化するわけがない。一極集中はひたすら余計な規制を強め産業を不活発にしているだけだ。
官僚改革に初めて手を入れたのは安倍晋三政権だが、行革担当相としてその先兵になったのが渡辺嘉美氏である。140年間続いてきた官僚内閣制を変革する手始めは国の出先機関の廃止だ。30年来、歴代政権が打ち出すこの政策が必ず官僚に潰されるのは、ここが中央集権体制の要(かなめ)の機構だからだろう。
(10月3日付静岡新聞『論壇』より転載)
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