石原慎太郎氏と橋下徹大阪市長が“第三極”のまとめにかかっている。橋下氏は石原氏個人とは共鳴できても「たちあがれ日本」の平沼赳夫氏らとは盟友関係にはならないだろう。橋下氏自身「平沼さんとは色が違う」と述べている。
「たちあがれ日本」が自民党から分かれて存在したのは「真正保守」を目指したからである。真正保守とは、混じりっ気のない日本ということのようで、精神的純粋さを大切にする。神道や日本精神を重んじ、歴史や伝統を守っていこうという点では、全面的に賛意を表する。問題はどういう制度が真正保守に相応しいか、どういう制度を固守すべきかである。たちあがれ日本が自民から分裂した動機は郵貯の民営化問題である。日本の郵便局は明治時代、前島蜜(まえじま ひそか)が考案し、民族資本の形成に功があり、簡保を通じて国民に保険思想を植え付けた。かつて郵便局長は村の名士だった。郵便、郵貯、簡保の三位一体運営が日本社会の近代化の基礎になったと言っても過言ではない。
しかしグローバル化の時代になって、三位一体経営に外国から文句が出るようになる。三種が一体経営されることによって、ある業種が他から赤字補填されているのではないかと見られる。実際に補填されているとすれば、その事業は公正な競争をしているとは見做されない。そこで小泉純一郎氏は三業種の完全分離を果したわけだが、百年余にわたるムラ社会の伝統をぶち壊したと言われた。
今回民主党は郵貯会社、簡保会社の株を国が持つことで“完全分離”に修正をかけたが、すでに米国やWTOから事業のあり方に疑義が出されている。
百余年の伝統といっても、所詮、人為的な制度の問題であって、効率が悪い、世界のルールに逆らうというなら変えてしかるべきものだ。JRはかつて国有鉄道だったが、当時は毎年2兆円の赤字を垂れ流していた。7社に分割、民営化されて2兆円の赤字が無くなったばかりか、JR7社で7000億円の税金を納めている。
ここで郵貯の話を持ち出したのは、他でもない。そもそも日本の統治機構が陳腐化していることを言いたかったためだ。
明治以来140年にわたる官僚内閣制度は敗戦による憲法改正という画企的事件があったにも拘わらず、本質的にはほとんど変わっていない。知事や市町村長は民選になったものの国は財政の一部を握り、地方自治体を意のままにコントロールしている。この統治のやり方が、地方の自主性やアイディアを殺していないか。或いは地方に全く不要なことを強要してムダ金を使わせていないか。
この実態を首長であるが故に痛感したのが、東の石原慎太郎氏であり、西の橋下徹氏だった。二人に共通するのは「今の統治機構をぶっ壊さなければならない」ということであって、これは真正日本を壊すこととは違う。
(11月07日付静岡新聞『論壇』より転載)
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