原子力政策は参院選の重大な争点であるはずだ。与野党が正反対の方向を示しているのに、意外に論争は燃え上がらない。主張する側もそれを判断する国民の側も実はどうすべきかの確たる根拠を持たないからだろう。
福島第一原発を契機に電力料金が総括原価方式で決められていることを国民は知った。この方式は設備投資資金の金利、人件費など諸係り全部を足して、その全額を料金で賄う方式である。かつての国鉄は諸係り全部を運賃で賄う方式で、のちに不足分は国から年に2兆円もの補助金が出ていた。7社に分割して民営化したら借金がゼロになって、7000億円の税金を納めることになった。電力会社の経営体質はかつての国鉄さながらだ。経営を効率化し、電力料金を下げるには「発送電の分離」は不可欠だ。それを盛り込んだ電気事業法の改定案は、参院での採決、可決成立の寸前まで行きながら、みんなの党が首相問責決議の音頭を取って廃案になってしまった。みんなの党も民主党も法案自体には賛成しているのに、である。
原子力を使うべきか止めるべきか、決心がつかない体制がまず問題だ。
かつては電力事業を所管する経産省の下に原子力安全・保安院が置かれていた。40年にも亘って東電の副社長に経産相からの天下りが続いていた。経産省、保安院、東電に同じ穴のムジナが巣食っていたからこそ、たるみや馴れ合いが生じ、原発事故に繋がったと国民はみた。原子力ムラは信用を失って、経産省とは別の第三者機関として「原子力規制委員会」が設置された。
委員長を含めた規制委員会のメンバーは5人で構成され国会で指名されるはずだった。ところがメンバーについて与野党が一致せず、「緊急時には政府が指名してよい」条項を適用して民主党が決めた。この委員会が原子炉、地震、津波などあらゆる事態を勘案して決定を下せれば、知事も住民も国民も安心できる。いま誰もが自信を持てないのは「規制委員会」にそのような権威が備わっていないと疑っているからだ。
福島第一原発の事故は基本的には、予備電源を地下に造ったこと、鉄塔が津波で倒れたという設計ミスの類の事故だ。その証拠に東北電力の女川原発は震源地に近いにも拘らず、堤防に若干の損傷があった程度で、近辺の住民は何十日か原発敷地内に避難していた。
原子力規制委員会の委員長は田中俊一氏で原子炉工学の第一人者と言われている。しかし地質学や地震学については全くの素人だ。しかも事故後に問題とされているのは地震、地質問題だが、これに係わるメンバーはその道の第一人者ではない。活断層があれば全部ダメと言わんばかりだが、トルコ、台湾の活断層はダメだが敦賀の活断層とは違うという“第一人者”がいる。教条主義者や確信犯を除いて、メンバーを一新すべきだろう。
実はドイツの規制委員会も哲学的メンバーばかりで、学者を追加する話になっている。
(平成25年7月10日付静岡新聞『論壇』より転載)
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