アベノミクス解散
―増税したくない安倍首相、増税したい財務省御用達政治家―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 小選挙区比例代表並立制による総選挙が最初に実施されたのは1996年である。先日亡くなった土井たか子元衆院議長の斡旋で細川護煕首相と自民党の河野洋平総裁が会談し、現行制度が誕生した。この制度のお蔭で社会党は滅亡してしまうのだが、土井氏は「自分は間違ったことをしてしまった」と悔やんでいたという。
 今でも中選挙区制度を廃止したことを悔やむ人が多いが、その理由は@派閥がなくなったことで新人議員の教育ができない A政策の勉強が足りない――などである。新聞によっては組閣の前に派閥ごとの人数が書き出してあるが、派閥に属さない無派閥という人も80人ぐらいいる。この80人はおよそ新人議員が多いのだが、その新人はどこから集められるか。党支部が行う公募によって選抜されるものが多い。これまではどうだったか。市会、県会の古手か、親分衆のつてで立候補させてもらっていたのが殆どだ。どちらが優秀かどうかは断定できないが、公募組が金を持っていないことは確かだ。大金持ちが親分に貢いで公認を得るといった暗い話はとんと聞かれなくなった。
 党首選を考えてみる。昔は派閥の数がはっきりしていたから、誰かを総裁に担ごうとすると親分か代貸しの貸し借りで総裁を決めることができる。
 佐藤栄作首相、退陣のあと、衆目のみるところ福田赳夫氏が本命だった。しかし田中角栄氏が三つ、四つあった中間派に金を廻し、中間派は相次いで「田中支持」を打ち出す。これに次いで三木武夫派も「田中支持」を打ち出すのだが、その条件が「日中国交回復」だった。佐藤氏も福田氏もこれには反対だったが、中曽根康弘派が「田中」に乗ってしまって勝負がついた。
 日中国交回復後は田中氏が道をつけ、その後の福田赳夫氏が平和条約を結ぶ。この歴史的展開の原動力が“派閥のカネのやり取り”だったのは情けない。自民党という政党が対中外交を練りに練って作り出したわけではない。
 ポストが欲しい人がカネを撒いて意外な結果を得る。中選挙区制度が決定的に悪かったのは政策立案の動機にカネがまつわりつくということだった。
 動機がカネであるが故に金権政治がまかり通る。官僚は政治家の示す方針を忠実に実行するスペシャリストであるべきだ。しかし日本の官僚は自省の考え方に合わせて議員を導く。今回のアベノミクス解散は税金を上げたくない安倍氏が勝負をかけた解散だった。来年10月から10%へ引き上げると書かれた税法を改正しても17年から10%に挙げることも可能だった。
 だが、麻生太郎財務相、安倍氏の属する町村信孝氏、野田毅税制調査会長、谷垣禎一幹事長、伊吹文明衆院議長、二階俊博総務会長ら自民党の要人を財務省が全て押えているのである。中選挙区制の下なら安倍氏は窒息していたところだ。


(平成26年12月10日付静岡新聞『論壇』より転載)

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