32年間の捏造報道の罪
―真相解明を怠り続けた朝日記者、条約締結の意味すら理解できない韓国―
朝日新聞の従軍慰安婦をめぐる“誤報”については、朝日新聞が16本の記事を取り消すと発表したことで、逆にことの真実が語り易くなった。「挺身隊」と「慰安婦」を取り違えていた植村隆元記者も文芸春秋新年号に「従軍慰安婦捏造記者と呼ばれて」と題する独占手記を書いている。これらの記事を通読して痛感したのだが、誰も肝心な本線に触れていないため、罵声のやり取りに終始しているように思えることだ。
最初に“詐話師”と呼ばれる吉田清治氏の「私の戦争犯罪」を取り上げて、吉田氏を世に出した記者は清田治史氏という。順調に社内の出世階段を上って取締役を務め、定年後は帝塚山学院大(大阪狭山市)に天下っていた。ところが朝日の記事取り消し後に大学当局に脅迫電話がかかってきたため、その日に、清田氏は大学を辞職した。大学当局は話し合いをする素振りも見せなかったという。これについて植村元記者は「虚偽証言を信じて記事にした記者が、そのことで大学を追われることがあっていいのか」と驚いている。しかし同じ虚偽でも、民族の名誉を貶める虚偽である。それが32年間に亘って取り消されず、歴史の骨肉に食い込み、世界から批難されれば教授などやるべきではないだろう。
一方、植村氏が現在、非常勤講師を務めている北星学園大学は、植村氏の去就について大学長は「学問・研究の自由を守る」立場から講師を継続させる立場のようだ。植村氏の手記によると抗議メールの3倍の激励メールが届いているそうだ。しかしこの問題は「学問・研究の自由」を守るとか守らないといった類の問題ではないだろう。植村氏が91年に記事にした元慰安婦・金学順の話はのちに金氏が自ら「14歳の時、母親にキーセン(妓生=娼婦)に売られた」と証言しているのである。金氏の証言をテープにとって、植村氏に渡したのは「挺身隊問題対策協議会」の会長だったという。日本では挺身隊というのは当時の女学生なら、殆どが経験している工場への勤労奉仕隊である。日本人の常識がいつの間にやら韓国では挺身隊と呼ばれていたわけだ。植村氏はその区別ができず、母親にキーセンに売られた娘の証言をテープを聞いただけで記事にした。これは記者道からしてあり得ない話だ。植村氏は「捏造ではない」と強弁しているが、こういうのを真っ当なジャーナリズムの世界では「捏造」というのである。或いは「騙された」と言ってもいいが、掴まされたネタのインチキ度合からいって、罪、万死に値するのである。
「学問・研究の自由」を叫ぶのは見当違いも甚だしい。
戦後、50年代後半まで、日本でも韓国でも慰安婦は公認の職業だった。だからこそ1965年の日韓基本条約、請求権条約で取り上げられなかった。それを韓国の裁判所が「取り上げろ」と判決を下したのは、三権が分立していないからだ。韓国が堕したのである。
(平成26年12月24日付静岡新聞『論壇』より転載)
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