8月14日、安倍首相が発出した戦後70年談話を高く評価したい。
安倍首相は、有識者会合(21世紀構想懇談会、会長西室泰三氏)の見解を十分に参照しながらも、政治指導者として、国民世論の最大公約数に意を用い、また国際的反響を意識しながら個人的なタッチを十分に加える工夫を行った形跡が読み取れる。
この談話の発出については、内外から異常とも思える注目を浴びた。特に国内の左翼勢力やいわゆるリベラルなマスコミや識者からの事前の批判や牽制も続き、一部保守勢力からは談話の必要性自体を疑問視する見解も表明されていた。安倍首相談話は、過去についての歴史認識の根幹については歴代内閣を踏襲しているが、これまでの謝罪の連鎖を断とうとしたことに歴史的な意義を見出したい。
《談話の評価すべき諸点》
筆者の見解では、内外の多くの立場に留意ながら全体としてバランスが取れた談話である。キーワードと言われた「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」を歴史的な経緯と世界的な広がり、すなわち時間と空間を広げたパースペクティブの中に置いたことを評価したい。
具体的に評価するところは、次の諸点である。
第一は、談話は、まず、100年以上前に遡って西洋諸国による植民地支配に言及し、「植民地支配」は欧米諸国が世界的規模で進めたものであり、日本の植民地支配もその脈絡の中にあったことに言及した。また、日露戦争の勝利が「植民地支配の下にあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけたこと」に言及した。
実際、インドのネルー首相は、英国植民地下で投獄されている最中に日露戦争での日本の勝利を聞いて、娘のインディラ(のちのインディラ・ガンジー首相)に対し書き記した。
「日本が勝ちました。大国の仲間入りをしました。アジアの国、日本の勝利は、すべてのアジア諸国に計り知れない影響を与えたのです。少年の私がこれにいかに興奮したか、以前、あなたに話したことがありますね。この興奮はアジアの老若男女すべてが分かち合いました。欧州の大国が負けました。アジアは欧州に勝ったのです。アジアのナショナリズムが東の国々に広がり、『アジア人のためのアジア』の叫び声が聞こえました」(『娘に語る世界史』より引用、翻訳は筆者)
安倍談話は、そのうえで、日本が満洲事変や国際連盟からの脱退に見られるように、国際社会が築こうとしていた「新しい国際秩序への挑戦者」となってしまい、国内外の多くの命を失わせる結果に導いてしまったことに対し、「深く頭を垂れ、痛惜の念を表するとともに、永劫の、哀悼の誠」を捧げた。
談話は、「痛惜の念」「永劫の哀悼の誠」「先の大戦への深い悔悟の念」などと、率直かつ強い言葉を使って反省と悔悟の意を伝えた。工夫がなされたのは、これらの気持ちを表明するに当たり、我が国の反省や哀悼の意を歴史的な経緯や世界的な広がりの中に位置づけて論じたところに新味がある。日本に先立って植民地政策を推し進めた欧米先進国は、自らの反省なしに一方的な日本たたきをすることが難しくなったであろう。ちなみに、英国、フランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどの旧宗主国は、植民地にしたアジア諸国やアフリカ諸国に対し、いまだに正式な謝罪も法的な国家賠償もしていない。
第二は、我が国の戦後の平和的な来し方に触れるとともに、途上国への支援など国際貢献に努力してきたことを誇りとした。すなわち、談話は、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」としたうえで、「その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と述べている。
第三は、「侵略」や「植民地支配」については、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない」と憲法第9条第1項に近い表現を用いて言及した後、「植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と決意表明し、「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」と結んだ。二つの言葉を単に日本の一時期の行為にとどめず、広く国際社会の脈絡に位置づけ、かつ未来志向の中で述べた点を評価したい。
第四は、「寛容の心」を強調したことに注目したい。談話は、「米国や英国、オランダ、オーストラリアなどの元捕虜の皆さん」がお互いの戦死者へ慰霊してきたことを評価し、さらに、「戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐えがたい苦痛を受けた元捕虜の皆さん」の寛容さに思いを致し、この「寛容の心」が日本の国際社会への復帰に貢献したことに謝意を表した。談話はそうは言っていないが、中国や韓国の日本に対する不寛容な態度への搦め手からの牽制とも解釈できる。
とくに中国については、この言及は中国人の反日感情を和らげる効果があるのではないか。対日賠償を放棄して国交正常化を果たした毛沢東主席や周恩来総理、さらに日中平和友好条約を締結したケ小平副主席といった往時の指導者の寛容さと大局観と比較すれば、江沢民主席以来の反日教育や習近平政権の執拗な国際的反日キャンペーンの狭量さは、大国たる中国には相応しくない。
第五は、これが最も重要と考えるが、談話が、「戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えている」として、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」としたことである。安倍首相は、中韓が事あるごとに提起し要求してきた謝罪の繰り返しを、70年談話によって断つことにしたのである。ここに、今回の談話の最大の意義と貢献があると考える。
もっとも、談話は、続けて、「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わねばなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」として、バランス感覚を示した。
第六は、未来志向の決意として、@「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界にも働きかけて」行くこと、A「唯一の被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会での責任をはたして」行くこと、B「20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続け・・21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードして」行くこと、C「自由で公正な開かれた国際経済システムの発展と途上国援助」のために牽引して行くこと、最後にD「自由、民主主義、人権といった基本的価値を堅持し、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献」するなどの決意を表明した。
最初の@の指摘は、名指しを避けてはいるが、もちろん中国の南シナ海への進出とロシアのクリミア併合やウクライナ東部の分離画策を念頭に置いていることは、よくわかる。
《談話の国際的発信の重要性》
安倍首相自らによる談話公表と共に、政府が安倍談話を英文で同時に発出したことはとくに評価される。海外では、英文をもとに理解をするからである。シニカルで我が国についての知識・経験が皮相になりがちの多くの日本駐在海外記者が送る記事が本国で論評の基調となる。これはある程度やむを得ないが、政府としては、外国政府や有識者、マスコミの本社などが正確な談話をもとに考え評価するように仕向ける必要があるからである。
中国語や韓国語での翻訳も発表された。中韓が最大の問題であるだけに、これは極めて重要なことである。
政府も、我々シンクタンクや研究機関も、この談話が国際社会に正当に理解されるよう、努力をする必要がある。
《安倍談話への内外の反応はポジティブ》
談話発出後の反応は、我が国では肯定的な世論が多数を占め、欧米諸国などにおいても少なくとも政府は好意的であった。少なからぬ日本国民が懸念していた中韓両国の反応も、両国のマスコミは批判的だが、両国政府はかなり抑制のきいた反応であった。
我が国において産経新聞とFNNが15、16日の両日に実施した合同世論調査によると、首相談話を「評価する」との回答は57.3%、「評価しない」は31.1%であった。内閣支持率も、最低となった7月の37.7%から5.4ポイント上昇した。不支持率は、45.0%と支持率をまだ上回っているが、下落傾向を反転させた。不支持率には、川内原発の再稼働なども影響していよう。ちなみに、首相談話が、「お詫び」に言及する一方、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」としたことについては、「評価する」が66.1%と高率であった。
中国においては、15日付のマスコミ各紙は日本の専門家のコメントなどを引用しながら、「直接的なお詫びは避けた」「誠意なきあいまい表現に終始」などと報じたが、政府の反応は抑制的で慎重なものであった。16日付産経新聞によると、外交部の筆頭外務次官の張業遂が木寺日本大使を招いて、「被害国の人民に誠実にお詫びすべきだ」との中国の「厳正な立場」を表明したが、談話の評価には踏み込まなかった由。談話がいままでとは違った新しい内容と構成のものであり、かつバランスがとれていて時間的空間的広がりをもったものであるので、単純な評価は難しいのであろう。さらに、戦後70年の日本の肯定的な来し方や未来への建設的な志向については、中韓といえども批判のしようがないからであろう。中国については、中国国内での権力闘争や経済の大幅な後退などがあり、我が国との関係を悪くしたくないとの習近平政権の意向が働いている可能性もある。
韓国でも、朴槿惠大統領は、15日の光復節の演説において、談話は物足りないとしながらも、「日本の侵略と植民地支配がアジアの様々な国の国民や慰安婦らに苦痛を与えたことに謝罪と反省を根幹にした歴代内閣の立場が今後とも揺るぎないものであると、国際社会に明確にした点に注目する」とした。そのうえで、いつもの上から目線で、「歴代内閣の歴史認識を継承するという公言を一貫した誠意ある行動を支えに隣国や国際社会の信頼を得るべきだ。・・慰安婦問題を速やかに適切に解決することを望む」と言及した。全体としては、これまでの言い方より抑制的であった。
反日に染まった韓国マスコミは、談話について否定的な論調であるが、韓国政府や与党セヌリ党の抑制された反応を見たのであろう、「談話が不十分なものであっても悪化した対日関係を放置することは賢明でない」などの論調を掲げるようになった。
9月には安倍首相と習近平主席との第三回目の首脳会談が予想される状況下で、頑なな朴大統領の対日政策も曲がり角に来たのである。欧米諸国が出席しないことにした9月の中国の抗日戦争記念日にも、朴大統領は出席しないのではないかとの報道もある。対日批判の行きすぎや中国傾斜を不快に思う米国への気兼ねもあろう。折から、北朝鮮が南北非武装地帯に敷設した地雷によって韓国軍人二人が死亡した。韓国が強硬に対処すべきは北朝鮮であり、日本ではないことを韓国人に想起させた事件であった。
はたして、朴大統領は変わるのかどうか。それは先方次第である。韓国の反日ぶりは「筋金入り」な面があり、基本的な変化は期待しづらい。韓国に対して我が国が宥和政策を行う必要はなく、先方の出方を静かに見守りつつ、事実関係や安倍談話の文言・精神を国際社会に発信し続けることが上策であろう。
欧米先進国のマスコミにはシニカルな反応をしたところもあるが、米国、英国、フランス、オーストラリアなどの先進諸国政府は好意的に評価した。欧米先進国は、安倍談話が、日本に先立って彼らが長年の間行った植民地政策に言及したことに意表を突かれたであろう。しかし、彼らも、旧植民地であった諸国のことを考えれば、安倍談話の指摘に異論をさしはさむことはできない。むしろ、談話は、彼らが日本に対する貢献を行ったことへの謝意を表明したので、よほどのひねくれ者か愚か者でない限り、安倍談話を正面から批判をすることはできないであろう。
肝心の中韓以外のアジア諸国の政府は、予想通り、フィリピン、インドネシアをはじめ概して好意的な反応であった。これらの諸国民は、日本の侵略行為などを忘れないにしても、彼らの独立への間接的貢献や、戦後の日本の平和的な生き方、さらには彼らの国造り人づくりへの日本の経済・技術的貢献を評価し、とうに反日感情を克服して親日国に転じていることを改めて証明してくれた。
《安倍談話で歴史問題はひと区切りがついた》
我が国は、国内においても近隣諸国との関係においても、安倍談話を一つの区切りとするべきであろう。
中国や韓国、さらには一部の欧米諸国のマスコミや有識者には、いつまでも過去の問題について日本批判をおこなうことにより、外交的、道義的に優位に立とうとの政策的ないし心理的傾向がみられる。今回の反応をみると、中韓双方とも抑制的であり、両国との関係の転換点になる可能性がある。安倍首相は、自らの談話がこの種の談話の最後のものとなり、日本国民を過去の桎梏から解放するとともに、両国との関係を新たな次元に上げたいとの思いがあったのであろう。
安倍談話は、長年にわたり、我が国を外交的心理的に縛ってきた村山談話や小泉談話をようやく止揚した。村山首相は、テレビのインタビューにおいて、悔しそうな様子で安倍談話は「植民地支配、侵略、おわびなど、村山談話のキーワードは、できるだけ薄めて触れたくないという気持ちだったのだろう。焦点がぼけて、何を言いたかったのか分からない」(8月14日付『YOMIURI ONLINE』)と批判した。このことは、とりもなおさず、安倍談話が村山談話の歴史的役割に終止符を打ったということを示している。
戦後70年の日本は、以前の日本ではない。日本は、過去の教訓を学んだ上で世界平和と繁栄のための貢献を倍加する新たな決意と責任感を自覚する日本なのである。今回、日本国民の多数は、安倍談話を支持した。中韓両国はもとより米国などの友邦も、このことを理解する必要がある。我が国においては、戦後80年談話、90年談話、100年談話などの必要性はおそらくないであろう。仮にあったにしても、これからは安倍談話が基礎になるものと思われる。村山談話に回帰する道は、もはやない、と思うべきである。そして、将来の日本国民は安倍談話に感謝することになるのではなかろうか。
《日本国民に期待される心構え》
日本国内について言えば、我が国の政治家もマスコミも有識者も、いつまでも日本や日本人を劣位に置くような言動から自らを解き放つべきと考える。特に政治家が政局を重視するあまり、日本や日本人を自ら貶めるような言動は、国会審議にせよマスコミなどでの公開の討議にせよ、避けるべきであろう。自虐史観に陥った我が国の一部マスコミや知識人には、東南アジアや南アジアをはじめとする諸国民の日本観を正しく認識し、彼らから学ぶことを勧めたい。さもなければ、これらの自虐的人士は、過去の社会党などと同様、歴史の進展や国際情勢の変化から置いてきぼりにされ、「化石」になっていくであろう。
最後に、国民にとって極めて大事なことがある。それは、日本国民が日本やアジアの近現代史を学び、歪みのない歴史認識を持つことである。その上で、我が国の正しい姿を国際的に発信する積極性を身につけるべきだ。学校での歴史(特に近現代史)教育や外国語教育の積極化、マスコミや学者・シンクタンクの公正な情報提供や意見の開陳が重要であることを指摘したい。
(了)
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