10月初めに米国アトランタで開催された環太平洋経済連携協定(以下TPP)閣僚会議が、ついに原則合意を達成した。交渉は開始後5年半かかったが、日本が参加してからも2年半の歳月が流れた。
日本、米国をはじめとする太平洋を囲む12カ国が、関税の撤廃ないし抜本的な軽減、知的財産権の保護、投資のルールなど31分野にわたるモノやサービスの移動の自由化を目指した画期的な合意である。その規模は、経済規模第1位の米国、第3位の日本を含む12カ国、人口は約8億人、GDPの合計は約3100兆円で世界のGDPの約40%、世界貿易量の約3分の1という巨大な経済圏が誕生する。欧州連合(EU)を除けば、経済の自由度は他の多国間および2国間の自由貿易協定ないし経済連携協定を凌駕する。それだけに交渉国の利害が複雑に絡み合い、対立した。最後まで立場が対立した乳製品、バイオ医薬品などを決着させるために、予定より3日延期し、計6日間も交渉を重ねた。参加国の国内においても、TPP推進派と反対派の対立は程度の差はあれ熾烈を極めた。
大変な難産であっただけに、関係国は大事にこれを育てなければならない。
TPPの意義は次のように要約されよう。
1.広域的で包括的な経済連携の枠組み
完全ではないが自由なモノとサービス、さらにはヒトの移動を背景とした巨大な経済圏の誕生である。参加各国の経済交流は画期的に向上し、経済の成長と社会の発展に大きく寄与するであろう。世界的な規模での交渉(最後はドーハ・ラウンド)がデッドロックに乗り上げている現在、次善の策としての地域的経済連携の形としては、TPPは最も大きくかつ深化した枠組みである。
筆者が疑問に思ったのは、交渉中、各国の政府関係者やマスコミは「どうしたら生産者を守れるか」に焦点を当て、消費者の立場からの説明や発信が少なかったことである。消費者こそ、TPPの勝利者であり、果実を最も享受するのである。わが国は米作農家や酪農業者の利益を十分踏まえて対応したが、それでも不満は残ったであろう。しかし考えてみれば、これらの人々も消費者の一面を強くもつものであり、交渉の結果から裨益する。
2.アジア太平洋のルールや秩序は、基本的人権、民主主義、法の支配を尊重する国々が主導して構築
環太平洋地域は世界で最もダイナミックに発展している地域であるが、ほかの地域の経済統合システムと異なり、歴史、文化、発展の度合いなど異質性を内蔵している。しかし、TPPに参加したアジア大洋州の日本、ベトナム、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、オーストラリア、ニュージーランドと、米国、カナダ、メキシコ、ペルー、チリの米州諸国は、すべての国が基本的人権、民主主義、法の支配を尊重する点で共通である。将来的にはこのような基本的価値観やシステムを尊重する国々の参加が見込まれる。
中国は、アジアにおける権益の拡大を志向する一方、米国を排除した経済連携を目指している。東アジア諸国やインド、大洋州諸国の計16カ国からなる東アジア地域包括的経済連携協定(RCEP)である。他方でアジア・インフラ投資銀行(AIIB)等により中国中心の経済協力秩序の構築を企図している。しかし、中国は、基本的人権、民主主義、法の支配の面で大きな問題がある。また、中国は経済大国ではあるが、無断であるいは非合法的な外国の知的財産権侵犯、独占的ないし寡占的な国有企業、WTO加盟後も散見される協定違反など、ルール無視ないし軽視の傾向がある。中国の経済運営は、共産党および政府の意向によって左右され、企業もヒトもそれに従属する。国内政治と密接に結びついているので、経済的論理だけでは動かない。国際協定も、必ずしも遵守されない。
遠い将来において中国がTPPに加盟する可能性はあろうが、見通しうる将来は難しい。アジア太平洋地域の経済秩序がTPPを中心に構築されることは、経済的次元のみならず政治的次元でも高く評価すべきである。
3.わが国は自由貿易・経済連携面の遅れを一挙に挽回
わが国は、これまで、自由貿易協定や経済連携協定の締結において、例えば韓国に比し後れていた。国内政治の脈絡において、農業(コメ、牛肉・豚肉、乳製品など)の自由化が難しかったことが主因であった。安倍政権は、わが国を強くするとの信念と国民的支持率の高さを基礎に、農林族や農協組織の反対を押し切って農協の組織改革を断行し、TPPの障害を取り除いた。
韓国は、少なくともFTAやEPAにおいては日本に一歩先んじ、日本との協定締結に冷淡であった。今回のTPP原則合意により、日本が韓国に対し優位に立ったことは間違いない。おそらく、中国や韓国は、冷淡であった日中韓のEPAにつき態度を変える可能性がある。
中国は、RCEP交渉の加速を狙うであろうが、ドーハ・ラウンドに対して消極的であった中国やインドが参加するこの交渉は、妥結するのが難しく、仮に運良く(?)妥結しても、TPPに比べれば経済の自由度や開放度ではるかに劣るものになることは間違いない。わが国は東アジアの中核国としてRCEP交渉に関与していくが、TPPができればRCEPの重要性は減少する。わが国は、すでにアセアン各国および組織としてのアセアンとFTAを、インドとは包括的経済連携協定(CEPA)を結んでいるからである。
EUは、日本とのEPAについて徐々に前向きにはなって来たが、まだ対日注文が多すぎる。TPPの原則合意は、日本とEUを完全に対等の地位に置くであろう。EUは多額の農業補助金の支出によって農業を保護し、その競争力を向上させているが、わが国とのEPAがなければ、例えばTPPによって安価になる豪州、ニュージーランド、チリのワインやニュージーランドのチーズが日本市場にあふれることを見ることになる。EUにとっては、わが国とのEPAはTPP諸国市場へこれまで以上に進出するためにも必要になる。
4.TPPは日本力を強化する
TPPの原則合意は、日本の農業のほか各国のセンシティブな産業に対する最低限の保護措置を残したが、ギリギリのところまで自由化する。自由化を通じて競争が促進され、国の経済力が向上する。
わが国は、これまでの多国間協定(ケネディー・ラウンド、東京ラウンド、ウルグアイ・ラウンドなど)や米国などとの2国間の合意により、関税の引き下げ、特別輸入枠の設定などにより、農業の部分的自由化や開放を行ってきた。これらの交渉の都度、農協や農林族の政治家は、危機感を煽った。しかし、賢明で勤勉な農業従事者は、創意工夫により競争力を高めるとともに品質の改良、新たな品種の創生等により、逞しく生き延びてきた。コメは、各地で特級、A特級などの素晴らしい品種が続々と生み出され、国内のみならず国外にも輸出されるようになった。日本料理ブームに乗って日本酒も国外に打って出るようになった。青森のリンゴは国内のみならず国外でも評価を高め、山形のサクランボは佐藤錦などにより米国のサクランボと共存しており、日本のミカンは外国のグレープフルーツやバナナに負けてはいない。野菜は、地域ごとに工夫がなされているほか、最近では生産者の名前や顔写真を付して売り出され、消費者の信用を博している。和牛も、国の内外で好調である。国民は、これらの素晴らしい国産品を享受し、食生活は豊かになった。
TPPについても、悲観することはない。農業従事者の創意と改革への意欲に信を置こう。ただ、農業は経済論理だけで決めるわけにはいかない。農業は、美しい景観の維持保全、日本文化や伝統と融合したコメの意義、田畑の保水、洪水の防止など多面的な機能を持っており、これらは守らなければならない。その点で、国民の税金が使われることは、許容すべきであろう。注意すべきは、農業団体や農林族が経済合理性から必要とされる以上に、圧力を行使して税金の無駄遣いをすることである。
今後の段取り
各国は条文を詰めたうえ署名し、議会による批准(承認)を得る必要がある。国内政治の力学により議会承認が難しい国もある。TPP交渉団はそれを予期し、「協定が2年以内に各国の承認が得られない場合でも、GDPの合計が85%以上を占める6カ国以上が承認すれば発効する」ことを決めている。米国においては、議会内において強力な反対勢力があるので、オバマ大統領が任期中のレガシーとするためには全力を尽くして議会の承認を得る必要がある。
わが国においても、反対勢力はある。ただ、衆議院において与党が圧倒的多数を占めているので、国会承認はほぼ確保されている。憲法は条約の承認について、予算と同じく衆議院の優位を規定している。すなわち、憲法第60条と61条により、与党が過半数に達していない参議院が、仮に衆議院と異なった決議をした場合に、両議院の協議会を開く。与野党がそれでも意見が一致しないとき、又は参議院が衆議院の可決した予算(条約)を受け取った後、国会休会中の期間を除き30日以内に議決しないときは、衆議院の決議が国会の決議となる。
国会審議の過程において、政府与党は農業予算を含めて特別の配慮を行うと思うが、折角の国家的意義を持つ成果を生かすためには、生産者のみならず最大のステークホールダーである消費者の立場に立つことも必要である。
TPPは、アベノミクスの重要な柱の一つである。日本国内の経済成長や生活の豊かさに直結するとともに、日本という国のあり方、行き方に関わる大きな問題であることを理解する必要があろう。
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