1月15日、米国の外交専門誌「Foreign policy」は、ランド研究所が実施した尖閣諸島を巡る日中衝突のシミュレーション結果を公表した。その結果は「日本は5日で敗北」という衝撃的な結末だった。
冷戦時、筆者は現役自衛官だったが、「日本は極東ソ連軍に1週間で完敗する」とか、「航空自衛隊は開戦後15分で消滅する」とかよく言われたせいかデジャブ感を覚えた。
シミュレーションの詳細が不明なため(「Foreign Policy」はシナリオと結果のみ報道)、この評価は難しい。「5日」の正否はともかく、日中が直接ガチンコ勝負になれば、結果は同じようになるかもしれない。さりとて、複雑な要因が入り乱れる国際社会の中で、こんなに単純にはいかないというのが率直な感想だ。
それより、ランド研究所は今、何故こういう衝撃的な結果を発表したのだろう。筆者はその思惑の方に興味をそそられる。
最近、米国では中国系シンクタンクが「コミットメント・パラドクス」を相次いで発表しているという。「コミットメント・パラドクス」を簡単に言うとこうだ。
米国は同盟国へのコミットメントとして、ジュニアパートナーに余り肩入れしすぎない方が良い。さもなければ軍事大国との全面戦争に巻き込まれることになる。それは決して人類にとって幸せなことではない。
つまり尖閣諸島と言った無人島の領有権を巡り、米国はあまりコミットすべきではない。米国にとって何の価値もない無人島にコミットしすぎると、中国との紛争に巻き込まれる可能性がある。日中間の紛争に巻き込まれたら、米中核戦争にエスカレートする蓋然性もゼロではない。それは米国の国益にとって決してプラスにはならないという助言を装った一種の警告である。
中国は台湾、南シナ海のみならず、尖閣諸島も「核心的利益」として位置づけ、領有権に関しては一歩も引く気配はない。だが、オバマ大統領が「尖閣は安保条約5条の対象」と明言したことにより、身動きがとれないでいる。
27年間で41倍という驚異的な軍拡を図ってきた中国も、未だ米軍だけには歯が立たない。だから中国は決して米国とは事を構えたくないと思っている。もし日中間で小競り合いが起こっても、何とか米軍が動かない方策を探し求めている。
人民解放軍の高官が語っている。「我々にとって最良の日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に機能しないことだ」と。この言葉に中国の本音が透けて見える。中国にとっては、米国の宿痾ともいえる「引きこもり症候群」を再発するのが一番好都合に違いない。
今回のランド研究所の公表内容は「コミットメント・パラドクス」そのものである。近年、米国の有名大学やシンクタンクに莫大な額のチャイナマネーが流れているのは公然たる事実である。
あるシンクタンク関係者が語っていた。公正中立を標榜する有力シンクタンクでも、莫大なファンドを寄付する顧客の意に沿わない報告書はなかなか出せないと。「ランドよ、お前もか」ともよぎるが、「天下のランドだから、そんな」との思いもある。
オバマ大統領は2013年9月、「米国はもはや世界の警察官ではない」と明言した。その後も同発言を繰り返している。これが今後の米国外交方針の潮流ならば、この流れに迎合する「時流迎合型」報告書なのかと考えたりもする。
ランド研究所がこれを公表した12日後、ハリス米太平洋軍司令官は、沖縄県尖閣諸島について「中国からの攻撃があれば、我々は必ず(日米安保条約に基づき)防衛する」と公開の席上で述べ、米軍の軍事介入を言明した。この発言を見る限り、潮流の方向性が定まっているとも思えない。
では、冷戦時によくあった、日本の防衛力増強を強要するための警鐘なのだろうか。だが、オバマ政権はこれまで、日本に対し際立った防衛力増強の要求はしてこなかった。これを考えると、首をひねらざるを得ない。正直に言って今回のランドの思惑は筆者には分からない。
何故、思惑について興味を引いたかというと、シミュレーション内容がランド研究所にしては、あまりにも稚拙で、一方的だったからだ。(シミュレーションの詳細が不明なため、「Foreign policy」の記事からのみ判断していることをお断りしておく)
シナリオは日本の右翼活動家が魚釣島に上陸したことから始まる。中国は直ちに海警を派遣し、これを逮捕、拘束する。2日目、日本政府は周辺海域に護衛艦や戦闘機を展開。米国も日本の要請に応じ、駆逐艦や攻撃型潜水艦を派遣する。中国側も海軍艦艇を展開したため、周辺海域は一触即発の緊張状態となる。
3日目、中国の海警が日本の漁船と衝突、沈没させたことにより事態はエスカレート。中国フリゲート艦が30ミリ対空機関砲で空自機に発砲したことで、日本側も応戦し、一気にテンションは高まり、交戦状態となって海自艦艇2隻が沈められる。
ここまでが交戦に至るまでのシナリオであるが、どうも素人っぽい。勉強不足の学生が書いた未熟な卒論の感が否めない。実態と乖離しすぎると、シミュレーション自体の信頼性が失われる。
2日目に海自艦艇や空自戦闘機を展開したとあるが、根拠は何だろう。海警による上陸日本人の逮捕、拘束は、武力攻撃事態とはいえない。当然、防衛出動は下令されていないはずだ。治安出動、海上警備行動がその根拠かもしれない。2日目だったら、時間的余裕なく、ひょっとしたら、海自、空自部隊の展開は「行動」ではなく、防衛省設置法の「調査研究」を根拠にしているかもしれない。
いずれにしろ、防衛出動が下令されない限り、展開した海自、空自は武力の行使はできない。仮に攻撃を受けた場合でも警察権に制約された武器の使用しかできない。だとしたら、海自指揮官は中国艦艇からは距離を置き、防護体制を整えて被攻撃を避け、行動の監視を命ずるだけだろう。
まして中国フリゲート艦の30ミリ対空機関砲の威力圏内に空自戦闘機を飛ばすことなど、先ずあり得ない。また海上保安庁の巡視艇が中国海警に「放水」して対抗とあるが、日本の海上保安庁は法律上、他国の公船に対して放水はできないし、するはずもない。以上だけでも、シナリオの未熟さが分かる。
現実的には、米国が駆逐艦、攻撃型潜水艦を派遣した時点で、中国は矛を収めざるを得ないだろう。人民解放軍は近代化されたとはいえ、未だ米軍には歯が立たないことは、人民解放軍自身が一番よく知っている。
1996年、初の台湾総統選挙を妨害するため、中国は台湾近海に4発のミサイルを撃ち込んだ。だが、クリントン大統領が即座に2隻の空母を派遣した途端、矛を収めざるを得なかった。人民解放軍はこの屈辱を未だに忘れてはいない。だが、中国軍にこの屈辱を覆せるだけの実力は今なお備わっていないのが現実だ。同じ屈辱を味わうようなバカなことはするはずはない。
中国の軍事行動の蓋然性は、国際政治の観点も考慮しなければならない。現在の中国の最優先課題、つまりコアな国益は @共産党一党独裁体制の存続 A国内社会秩序の維持(分離独立の排除、治安維持)そして B経済成長の持続である。特にBは@Aを支える必要条件であり、至上命題となっている。
グローバル経済に依存する中国にとって、Bのためには国際社会から糾弾されるような行動、つまり経済成長に悪影響を及ぼすような行動は慎まねばならない。
2014年、中国が西沙諸島で石油掘削作業を一方的に実施した時の対応が象徴的である。ベトナムは漁船にNHK、CNN、ABCの各記者を乗船させ、警備にあたる中国船が、ベトナム漁船に衝突を繰り返す動画を全世界に配信させた。
中国の暴虐無道振りに対し国際社会で一斉に非難の声が上がった。途端、中国は掘削作業を取り止めた。ベトナムは中国が国際社会の非難には敏感だという弱みをうまく利用したわけだ。
だからこそ、中国は「核心的利益」であっても、国際社会から糾弾されるような通常戦や熱核戦は回避し、「不戦屈敵」を最善とする。これが「三戦」つまり「心理戦、世論戦、法律戦」を重視する所以であり、目立たないで実利をとる「サラミ・スライス戦略」を遂行するわけだ。
こういう中国が、先に空自戦闘機に攻撃を仕掛け、海自艦艇を沈めて、500人の犠牲者を出すようなシナリオにはかなり無理がある。
シナリオに戻ろう。3日目、海自艦艇撃沈を機に事態はエスカレートし、米海軍も中国艦艇2隻を撃沈する。4日目、中国は米国に対しては、本格戦争へのエスカレーションを避けるため、サイバー戦に限定し、ロサンゼルス、サンフランシスコなど大都市を停電に追い込む。証券取引所にもシステム妨害を実施して莫大な損害を与える。大被害を受けた米国は日本に対するコミットを下げていくという。
このシナリオにも相当無理がある。米本土の国民に被害が及んだ時点で、第二の「真珠湾攻撃」となり、米国民の怒りは頂点に達するだろう。更にサイバー攻撃なら軍事的反撃は制約されるという前提そのものに誤謬がある。
サイバー攻撃については、米国は「サイバー空間国際戦略」( International Strategy for Cyberspace 2011)を公表し、方針を明確にしている。
「合衆国は、他の国々と共に、責任ある行動を促進し、ネットワークとシステムを破壊しようとする者に対し、悪意のある行為者を抑止・抑制すると同時に、国家の重大な財産を必要かつ適切な範囲で防衛する権利を留保する」とし、国家の固有の権利である自衛権はサイバー空間においても適用され、自衛のための軍事力を展開する権利を有すると明言している。
米国防総省が公表した「サイバー空間作戦戦略」(Department of Defense Strategy for Operating in Cyberspace 2011)でも、サイバー空間における敵対行為に対する自衛権及び軍事力行使の可能性を明示している。
米国民が激昂すれば、コミットを下げるどころか本格的な対中戦争にエスカレートする確率が高いことは、中国が一番知っているはずだ。本格的な米中戦争で勝てる確信がないまま、米中戦争の誘因になる作戦を遂行するほど中国は愚かではあるまい。
同盟国に対する米国のコミットメントにより、米国が多大な損害を受けるという結論が先にあるために、荒唐無稽なシナリオを重ねているような感じがする。これで最終日を迎えるが、無理の上に無理を重ねているため、軍事的に見ても非常に奇妙なところが出てくる。
5日目、尖閣周辺海域の海自艦艇は弾道ミサイルと巡航ミサイルの攻撃を受け、海自戦力の五分の一を喪失。中国は更に日本への経済中枢へも攻撃を開始する。日本政府は米国政府に策源地攻撃を要求するが、米国はこれを拒否。その代わり、潜水艦と戦闘機を増派して海自の撤退を支援する。これでゲームは終わり、中国が尖閣諸島を確保するというシナリオだ。
日本の軍事基地や政経中枢へのミサイル攻撃などというが、これでは明らかな日中全面戦争である。国連を含め国際社会の中国非難は高まり、中国のリスクは相当なものになる。もしこのリスクを冒すとしたら、先述のコアな国益、つまり@共産党一党独裁体制の存続、またはA国内社会秩序の維持が本当に危うくなった時だけであろう。
百歩譲って、こんなこともありうると仮定して軍事的に見てみよう。これは組織的、計画的な武力攻撃であり、当然防衛出動は下令されるだろう。であれば空自戦闘機も戦闘に参加しているはずだ。このシミュレーションでは航空優勢獲得の戦いが見えない。
シナリオは海上戦闘が主とはいえ、航空優勢の帰趨に大きく勝敗が左右される。周辺海域の制空権を握らずして、1〜2日で海自艦艇の20%を喪失させることは難しい。もし対艦弾道弾ミサイルDF-21Dだけで20%の破壊をカウントしていたとしたら、それはミサイルの過大評価である。まして中国海軍艦艇も空自の対艦攻撃で大きな損害を被っているはずだ。
数百発単位の弾道弾ミサイルを保有するとはいえ、ミサイル攻撃だけで制空権を獲得した近代戦史は存在しないし、今後もそう簡単にはいかないだろう。ミサイルだけで日本にある全滑走路を潰すことさえ不可能に近い。
日本には、戦闘機が活動できる2500m以上の滑走路は全国で約60本ある。(民間空港含む)これを全て破壊しなければ事実上の完全航空優勢はとれない。だが、1〜2日で完全に破壊するのは先ず不可能といえる。ランド研究所は弾道弾ミサイルを過大評価しているようにも思えるが詳細は不明である。
策源地攻撃の要請を米国は拒否したとある。(これは充分にあり得る)それでも、シナリオでは周辺海域で米海軍艦艇が行動している。艦艇が行動する限り、策源地攻撃はなくても、その海域の制空権をとるための防勢的対航空作戦(Defensive Counter Air)は実施されているはずだ。となると、更に完全な航空優勢獲得はありえなくなる。つまり1日や2日で、海自艦艇の20%も喪失することは荒唐無稽に近い。
稚拙なシナリオに喧嘩してもしようがない。だが、冒頭述べたように、「5日」の正否は別として、日米同盟が機能しない場合、日中がガチンコ勝負すれば、最終的にはこのような悲惨な結果になることを否定するつもりはない。我が国の「弱さの自覚」は極めて重要である。だが必要以上に怖れることもない。
だからこそ、米国が「コミットメント・パラドクス」に安易に同意しないような対米外交、日米防衛協力などの日本の努力が更に重要となる。こういう意味で、昨年の安全保障法制整備は一歩前進であったことは間違いない。
同時に、現実的には尖閣諸島で安保条約5条が発動されることはないだろうということも、覚悟しておかねばならない。中国は米国が「尖閣は5条の対象」と言っている限りは、軍隊を出さないだろう。その代わりに軍艦もどきの公船を出してくる可能性がある。
公船を出してくる限り、武力攻撃事態の認定が難しく、防衛出動も下令できない可能性は高い。その場合、安保条約5条の発動はないというわけだ。防衛出動も下令されず、自衛隊が戦っていないのに、米軍が出動するということはあり得ないからだ。
中国は今、大型で重武装の軍艦もどきの公船を続々建造中である。まもなく1万2千トン級の大型公船が完成するという。だが、公船である限り、たとえ大型で重装備であっても、安易に自衛隊を出してはならない。日本が先に軍を出したとして、日本を悪玉にしつつ人民解放軍を出す口実を中国は探っているからだ。
この対策としては、海上保安庁法と警察官職務執行法を改正して、海保と警察に領域警備の任務を付与すべきというのが筆者の自論なのだが、紙幅の関係上、細部は別の機会に譲ることにする。
詳細が不明なシミュレーション結果に一喜一憂する必要は無い。だが、東シナ海の平和維持について、重要なパラメーターは日米同盟であることは間違いない。中国は何とか米軍が出てこない日中紛争の機会を伺っていることは確かだ。
今年末には米国の新大統領が決まる。誰がなろうが、「コミットメント・パラドクス」の罠に陥らないよう対米外交を進めなければならない。それには日本も相当な自助努力が必要である。
ロバート・ゲーツ元国防長官が離任時に述べた言葉を、もう一度思い出す必要がありそうだ。「国防に力を入れる気力も能力もない同盟国を支援するために、貴重な資源を割く意欲や忍耐は次第に減退していく」。
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