2015年のノーベル生理学・医学賞は、寄生虫感染症の治療薬開発した3人の受賞者の頭上に輝いた。
まず、我が国の大村智である。大村は共同受賞者である米国人、ウィリアム・キャンベルと共にマラリアの治療薬「イベルメクチン」を開発した。
大村は山梨県韮崎市出身で、農家の長男であった。そのため、高校3年生の2学期までは大学へ行く予定はなかったという。しかし、父親の入院がきっかけで大村は急遽、山梨大学へ進学することになった。
卒業後、大村はいったん墨田工業高校(定時制)の教職に就いたが、その後、東京理科大学大学院(修士)で学ぶ。そして、大村は山梨大学助手となったが、すぐに北里大学の研究所で更に学問の研鑽を積んだ後、北里大学助教授となった。
その頃、大村は東京大学から薬学博士を与えられた(東京理科大学より理学博士も与えられている)。大村は北里大学教授を経て、北里研究所長を務めている。
日本の自然科学系ノーベル受賞者は、すべて学部は国立大学出身者である。かつては例外なく旧帝大系出身者だった。
しかし、最近、受賞者の傾向が変わってきた。学部が旧帝大以外のいわゆる「旧1期校」(東京工業大学・神戸大学・長崎大学・徳島大学)出身受賞者が現れたのである。白川英樹、下村脩、山中伸弥、中村修二の諸氏である。さらに、大村が「旧2期校」出身者でありながら、ついにノーベル賞を受賞した。同様に、今年のノーベル物理学賞は、東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章が受賞した。梶田も「旧2期校」の埼玉大学出身である(大学院は東大)。今後は、「旧2期校」出身者のみならず、学部が私学出身者のノーベル賞受賞がまたれよう。
周知の如く、ノーベル文学賞・平和賞に関しては、自然科学系ノーベル賞と趣が異なる。だから、前者は後者とは分けて考えた方が良いだろう。日本人のノーベル文学賞・平和賞は3人(川端康成、佐藤栄作、大江健三郎)皆、東大出身者である。もし早大卒の村上春樹がノーベル文学賞を受賞すれば、日本人初の私大出身受賞者となる。
さて、次に、中国人の屠呦呦(女性)が、独自の方法で漢方治療薬を抽出し、今年のノーベル生理学・医学賞受賞した。快挙と言っても過言ではない。屠は、留学した経験もなく、博士でもなく、(権威ある)中国科学院の研究員でもなかった。そのため「三無教授」と呼ばれていた(屠呦呦の夫は、学問の師匠、楼之岑博士だった)。「文化大革命」中、屠は190回も実験を失敗しながら、ついに191回目に漢方薬「アルテミシニン」を完成させている。
自然科学系ノーベル賞受賞時、中華人民共和国の国籍を持っていたのは屠呦呦だけである。他に中国大陸出身者では、楊振寧と李政道が1957年にノーベル物理学賞を同時受賞している。その時、彼らは当時の「中国」である中華民国のパスポートを持って米国へ行き、当地で研究していた。したがって、今の中華人民共和国とは直接関係ない。彼らが米国で研究に没頭している間、祖国が中華民国から中華人民共和国へ変わってしまったからである。また、受賞当時既に欧米国籍を持っていた中国大陸出身者は、1998年ノーベル物理学賞のダニエル・ツイ(崔g、米国籍)と2009年同賞のチャールズ・カオ(高錕、米国籍・英国籍)である。
中華人民共和国の国策として、同国人が海外へ行って、現地の国籍を取得した場合、原則的に人民共和国の戸籍は失う。一方、1949年、台湾へ移った中華民国政府は、基本的に二重国籍を認めている。なお、米国は原則、二重国籍は認めていないが、“黙認”している。
台湾出身(生まれは大日本帝国新竹州新竹市)の李遠哲は1986年ノーベル化学賞を受賞したが、その時既に米国籍を取得していた。既述の如く、台湾は二重国籍を認めている。そのため、受賞当時、李遠哲は台湾人でもあり、アメリカ人でもあったと言えよう。
最後に、中華系(漢民族系)のノーベル文学賞・平和賞受賞者について触れておきたい。
第1に、2000年、フランス在住の高行健がノーベル文学賞に輝いた。高は共産党政権に批判的で、1987年、中国からフランスへ亡命している。
第2に、2010年、民主活動家の劉暁波が獄中でノーベル平和賞を受賞した。劉は「08憲章」等を作成したため、現在も国内で服役中である。
第3に、2012年、『紅いコウリャン』の原作で知られた莫言がノーベル文学賞を獲得した。だが、莫は体制側の人間だとして、欧米から非難されている。
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