2015年11月7日、シンガポールのシャングリラ・ホテルで習馬会談が開催された。1949年、中国と台湾の「分断」後、66年ぶりの中台トップ会談である。海外から約600社のマスメディアが訪れたことからも、いかに関心が高いかが伺える。
当日午後、習近平と馬英九が会見場で約2分間、握手を交わした。実に、長い握手である。そして2人は会議場へ向かった。習馬と関係者が着席し、先に習近平が約4分半話した。
次に馬英九は約7分間話したが、途中、約6分弱の時点で、会議場のドアが閉められた。習馬会談の開始である(今回はお互い肩書をはずした呼び方に終始している)。
その約56分後、張志軍(中国国務院台湾事務弁公室主任)が記者会見場に登場した。習馬による“密談”は最大55分、実質は50分程度だと考えられる。
張志軍は約16分、会談での主旨説明を行った。引き続き、張志軍が合計7分程度、新華社、香港中評社、台湾旺報の記者から質問を受けた。だが、この3社は指名を受けていたマスメディアだったと思われる。質問も事前に用意されていたのだろう。
張志軍が会見場から去って約17分後、今度は馬英九(と同行者)が登場した。馬英九は自ら、約7分間、会談での内容説明を行っている。その後、馬英九は約24分間、世界のマスコミと間で質疑応答を行った。やはり馬といえども、民主主義国家の元首である。他方、習近平はマスコミの質問には不慣れなので、会見場へ姿を現さなかったに違いない。そして、馬英九が退席した(この後、夕食会は中台が「割り勘」で行われている)。
さて、台湾側が提起した5項目は以下の通りである。
第1に、「92年コンセンサス」を強固にし、平和な現状を維持する。
第2に、敵対状態を緩和し、平和的に紛争を処理する。
第3に、両岸の交流を拡大し、互恵の「ウィン・ウィン」関係を促進する。
第4に、両岸にホットラインを設置し、緊急な重要問題を処理する。
第5に、両岸は共に協力して中華振興に力を尽くす。
ところで、今度の習馬会談に対し、いくつかの疑問がある。
第1に、習近平体制は、もはや崩壊寸前である。一方、馬英九政権は、すでにレイムダック化している。来年1月16日、台湾では総統選挙があり、目下、野党・民進党の蔡英文候補が勝利する情勢である。このような状況下で、習近平と馬英九はわざわざシンガポールまで行って会う必要が何の為にあったのだろうか。「会談することに意義がある」という説明は単純過ぎるのではないか。当然、両者は何か決めるために会ったと考えるべきだろう。
それは、ずばり「中台統一」を協議するため(場合によっては、中台間の「平和協定」締結)である。今年9月22日、李登輝元総統がその点=危惧を表明している。
第2に、習馬会談で提起された「一つの中国」というタームに違和感を覚える。率直に言って、中国人以外、世界の誰が見ても「一つの中国、一つの台湾」である。「両岸の中国人」(中国共産党と国民党の一部)だけが、未だ、その“虚構”(フィクション)に固執している。なぜ、我々がその実態と異なる“虚構”にいつまでも付き合わねばならないのだろうか。
第3に、「台湾独立」という言葉だが、元来その意味は、台湾「党外」人士による(蔣介石・蔣経國父子支配下の)「中華民国体制」から「独立」することだった。台湾では、すでに民主化が達成され、「台湾独立」の本来的意味をほとんど喪失している。
それが、今では、なぜか中華人民共和国からの「独立」にすり替えられた。言うまでもなく、中国共産党は一日たりとも(澎湖島を含む)台湾本島を統治した事実はない。国際法的にはともかく、台湾は、一体どこから「独立」するというのか。台湾は、実際に中国共産党に支配されているチベットや新疆ウイグル等とは全く異なる。台湾が同島を支配していない中国から「独立」することは、論理的にあり得ない。
第4に、「両岸の中国人」(「両岸同胞」)という言い方にも疑問を感じる。台湾には、85%の台湾人(=本省人)と2%の台湾原住民はいるが、在台中国人(=外省人)は13%しかいない。中国共産党の主張する「両岸の中国人」はミスリーディングな言い方である。
第5に、中台でこれ以上、(経済的)交流が進めば、台湾側は中国経済低迷の影響をもろに受ける。そうでなくても、馬英九政権は「中国一辺倒」政策で中国への貿易依存度が高い。台湾経済失速を食い止めるには、大陸とは一定の距離を保つことが肝要ではないか。
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