2012年7月、北朝鮮のモランボン(牡丹峰)楽団が、金正恩第一書記の肝煎りで結成された。“北朝鮮の少女時代”と呼ばれる美女軍団の音楽グループである(韓国の本家“少女時代”はガールズ・ユニットで、日本でもファンが少なくない)。彼女らはミニスカートをはき、アメリカのディズニーソングを歌う。そのため、一時、西側諸国は北朝鮮の新指導者 金正恩が「開明的」だと“早合点”したのである。
2015年12月9日、そのモランボン楽団は平壌から列車(平壌〜北京間1349kmを結ぶ国際列車)で北京入りした。同月12日から14日までの3日間、北京人民会堂西側に位置する国家大劇院(2007年12月創立)で、同楽団の公演が予定されていた。
モランボン楽団の北京公演は、中朝間の“雪解け”を象徴するイベントと期待されていた。同公演は、金正恩書記が訪中する前の“露払い”的役割を担っていた。そして、リハーサルは順調に行われていたのである。
ところが、12月12日、モランボン楽団は開場数時間前、公演を突然キャンセルした。そして、同楽団は北京空港から高麗航空JS152便(13時05分北京発平壌行きを16時07分に変更)に乗って北朝鮮へ帰ってしまったのである。無論、中国側の見送りはなかった。
前日11日、モランボン楽団員らは、北京市内でマスコミの取材に、にこやかな笑顔で応対していた。しかし、翌12日、一転して、彼女らは皆、一様に表情が固く、無言で中国をあとにしている。
なぜモランボン楽団が突如、公演をキャンセルしたのだろうか。いくつかの仮説が考えられよう。
第1の仮説。12月10日、金正恩第一書記が急に北朝鮮の「水爆保有」をほのめかした。態度を硬化した中国側が公演観衆を(習近平主席を含め)政治局常務委員ではなく、次官級に「格下げ」した。それに対して、金書記が気分を害し、すぐさま同楽団を北へ引き上げさせたというものである。
ただ、金書記がどうしてこのタイミングで「水爆保有」の話を持ち出したのか不明である。中国共産党は北の核問題に悩まされ続けてきた。金書記の「水爆保有」発言が、北京政府を苛立たせることは容易に推測できただろう。
第2の仮説。習主席をはじめ、政治局常務委員らは党内闘争等で忙しく、モランボン楽団の公演観賞の調整がつかなかった。そこで、怒った金書記が楽団を北朝鮮へ引き上げさせた可能性も否定できない。
第3の仮説。モランボン楽団の団長は玄松月(1972年生まれ)で、金正恩の“元恋人”と噂された人物である。
1995年、玄は「将軍と水兵」で一躍スターダムにのし上がった。その後、1999年から2007年まで、玄は普天堡電子楽団(金正日により1985年に結成された音楽ユニット)に所属した。
2013年8月、韓国の『朝鮮日報』が、金正恩が(銀河水管弦楽団のメンバーと共に)玄松月を公開処刑したと報じている。だが、この粛清報道は完全な誤報だった。
実は、一部の中国メディアが、この金正恩と玄松月の“関係”を批判したという。また、共産党は中国人ネットユーザーがその“スキャンダル”を揶揄しているのを放置したとも言われる。それに腹を立てた金書記が、楽団を早々に引き上げさせたのかもしれない。
第4の仮説。実は、モランボン楽団員2人が、北京の韓国大使館に「亡命」のため逃げ込んだとも伝えられる。それに危機感を覚えた金書記が、急に他の楽団員全員を北へ戻したとも考えられよう。これ以上、団員に逃げられては、金正恩の面子は丸つぶれだからである。
第5の仮説。周知のように、人民解放軍最強部隊 瀋陽軍区(「上海閥」)が、事実上、金正恩を“コントロール”(あるいは“バックアップ”)している。
一方、現在「太子党」中心の習近平政権は「軍改編」を目指している。瀋陽軍区はそれを妨害するため、金正恩に北朝鮮の「水爆保有」を表明させ、わざとモランボン楽団公演中止に追い込んだ可能性も排除できない。
つまり、瀋陽軍区が金正恩を使って「中朝分断」を企てたとも考えられないだろうか。結局、金正恩は瀋陽軍区からの圧力で、北京政府(「太子党」)との関係改善を拒んだのかもしれない。
ひょっとすると、今後、北京政府と金正恩体制は中国での「軍改編」をめぐり、更に関係が悪化する恐れがあるだろう。
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