澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -58-
中国人民解放軍の改編

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 周知の如く、習近平国家主席は「9・3大閲兵」の際、人民解放軍の“30万人削減”計画を掲げた。だが、それは果たして可能なのだろうか。
 最近、中国経済は失速し、景気が悪い。この状況下で、30万人もの失業者を出せば、社会不安が更に高まるだろう。仮に、地方政府が退役軍人の受け皿になると、その負担はますます重くなるに違いない。
 1979年の「改革・開放」以後、解放軍は病院や学校等の非戦闘員を含め、一大「利益集団」を形成している。習近平といえども、ここにメスを入れるのは容易ではあるまい。
 2016年、習近平政権は、中国人民解放軍を「4大戦区」(「北方戦区」・「東部戦区」・「南方戦区」・「西部戦区」)ないしは「中部戦区」を入れて「5大戦区」へ改編する予定である。また、陸軍・海軍・空軍の一部を統合して「新戦略部」(第2砲兵部隊を含む)が創設されるという。
 今度の軍改編はその効率化を図るためなのか、それとも習近平が軍権を掌握するためなのか。前者ならば理解できるが、習近平の一連の行動から推測すると、どうも後者のような気がしてならない。
 恐らく、習近平政権は瀋陽軍区(「上海閥」)が北京政府(「太子党」中心)の言う事を聞かないので、疎ましく思っているのではないだろうか。
 徐才厚(「東北の虎」と呼ばれた「上海閥」)失脚に際し、2014年3月、部下の王旭東ら800人がクーデターを起こしたことは記憶に新しい。結局、反クーデター派によって制圧されたが、北京政府にとってショックが大きかったに違いない。
 習近平としては、瀋陽軍区と北京軍区を「北方軍区」として一緒にし、北京政府が瀋陽軍区をコントロールしたいのではないか。さもないと、習近平はいつ瀋陽軍区に寝首をかかれるとも限らない。
 習政権は「反腐敗運動」により、すでに軍幹部を徐才厚(2015年3月死亡)・郭伯雄(2015年7月失脚)・谷俊山(2012年2月失脚)を含め、軍幹部47人(100人説もある)を失脚させている。かつて徐才厚や郭伯雄は、10年ほど軍のトップに君臨していた。そのため、徐・郭の部下らがまだ軍に大勢いるので、「上海閥」の影響力は侮り難い。
 歴史を振り返れば、かつてソ連邦では、1964年、フルシチョフがソ連軍の軍権を掌握しようと試みた。そして、フルシチョフ書記長は軍を自ら乗っ取ろうとしたが、失敗して失脚している。
 1985年、今度はゴルバチョフ書記長が、ソ連軍を「党軍」から「国軍化」しようとした。しかし上手くいかず、結局、1991年にソ連邦自体が崩壊している。

 ところで、北朝鮮の金正恩第一書記は、瀋陽軍区から経済的・軍事的支援を受けている。そのためか、金書記は習近平体制発足以来、未だ“北京詣で”を果たしていない。習政権は、瀋陽軍区同様、北朝鮮をもコントロールしたいという思惑が見え隠れする。
 2015年12月9日、北朝鮮の“美女軍団”「モランボン(牡丹峰)楽団」が北京入りした。そして、同月12日から連続3日間、国家大劇院で公演する手はずだった。しかし、公演数時間前に、同楽団は突如予定をキャンセルし帰国した。理由は定かではない。
 ただ、その2日前、金書記の「水爆保有」発言が北京政府を刺激した公算は大きい。あるいは、楽団のリハーサルの際、正恩を讃える曲が多かった、また、演奏時の背景の映像が北京の不興を買った可能性もある。そのせいで、共産党最高幹部は公演観賞を取りやめ、格下の者が観に行くことになった。それが、金書記を激怒させた原因かもしれない。
 結局、中朝(正確には、北京政府と北朝鮮)は関係改善のチャンスを逃した。金正恩書記の“北京詣で”は先送りとなってしまっている。

 話は変わるが、2012年、薄熙来失脚は「太子党」に深刻な分裂をもたらした。その時、党・軍に影響力を持つ葉選寧(葉剣英の息子)が「太子党」の精神的支柱となり、その“危機”を乗り切ったと言われる。
 ちなみに、「太子党」は約4万人いる。だが、「太子党」は約85%が“保守的”「左派」であり、“開明的”「右派」(自由主義・民主主義を信奉)は約15%しかいないという。これでは、中国の未来は暗いだろう。
 現在、胡錦濤前国家主席がパーキンソン病だとの噂が流れている。“開明的”「共青団」の現役ナンバー1の李克強首相(党内ナンバー2)の影は薄く、李源潮・汪洋ら同グループの退潮が著しい。
 けれども、胡春華(現在、広東省トップ)は優秀なので、「19大」での政治局常務委員会入りが有力視されている。もし「共青団」の巻き返しがあるとすれば、次期「19大」以降になるだろう。



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