中国に「新人類」、「ピンク色の若者」(「小粉紅」の仮訳。かつての共産党の赤−例えば紅衛兵など−とは違う。共産党自体が共産主義を捨てたので)が出現した。彼らは1990年代以降に生まれた世代(「90后」)である。
当然、毛沢東時代の「大躍進」運動(1958年〜61年)や「文化大革命」(1966年〜76年)の困難な時期を知らない。前者時には、中国全土で大飢饉が起きた(四川省1省で約800万人が死亡したと言われる)。後者時には、血で血を洗う凄惨な事件が毎日のように頻発している。
「改革・開放」後、1980年代に入ると、中国では「民主化運動」が盛り上がった。だが、彼ら「90后」は、1989年6月の「天安門事件」さえよく知らない。たとえ歴史的事実として知っていても、肌感覚でわかるはずがないだろう。
それは、あたかも我が国において、戦後に生まれた「戦争を知らない子供たち」(ジローズ)の感覚と似ていよう。
中国の「新人類」は、GDPで世界第2位の経済大国にのし上がった時代に成長している。また、彼らの中高生時は、共産党が「養光韜晦」(能ある鷹は爪を隠す)政策を捨て、東シナ海や南シナ海へ“積極的”に進出する時期と重なる。
そのためか、「新人類」は過度な「愛国主義」(しばしば「反日」につながる偏狭なナショナリズム)を抱き、自国へのプライドが高い。同時に、強国へと導いた共産党に対する忠誠心も強い。
なぜ、このような若者が生み出されたのか。それは、ひとえに環境のなせる業である。しかし、中国共産党による「洗脳」教育の影響とも考えられる。
今でこそ、中国共産党(とりわけ胡錦濤政権から習近平政権にかけて)は「反日」一色だが、かつて同党は必ずしも「反日」政策を採っていたわけではなかった。
毛沢東・周恩来(最近、ゲイだったと暴露される)・ケ小平などは、我が国に対し、どのような感情を抱いていたのかはっきりとはわからない。ただ、彼らが日本を“利用”しようとした事だけは確かだろう。日中戦争時、共産党は日本軍と国民党軍を戦わせ、後に“漁夫の利”を得た経緯がある。また、1972年、日中国交正常化以後、共産党は盛んに我が国へ経済協力を求めてきた。
だが、一方では、胡耀邦総書記(中国の「民主化」に深い理解を示す)などは明らかな「親日」派だった。中曽根康弘首相(当時)との関係は親密だったことはよく知られている。逆に、それこそが胡耀邦の“命取り”となったとも言える。
1994年以降、中国共産党は露骨な「反日」政策を採るようになった。江沢民主席(「天安門事件」で失脚した趙紫陽総書記の後を継いだ)が始めた「愛国主義教育運動」がその契機となっている。
江主席は、自らの出生の秘密を隠蔽するために「反日」を掲げたのではないだろうか。実の父親、江世俊は日本に近い汪精衛の南京政府宣伝部副部長だったという。そこで、江主席は叔父の共産党“烈士”江上青を養父とした。
あるいは、江主席は自らの実力不足を認識して、中国国内をまとめるため、「反日」を切札として利用したのかもしれない。
さて、もう一つ、中国で「新人類」が出現した理由がある。
周知のように、21世紀に入り、新メディアのSNSが急速に発展した。同じ中華圏でも、香港や台湾のように、90年代生まれの中国大陸の若者(「90后」)も、自由な情報環境で育てば柔軟なモノの考え方ができたに違いない。
ところが、中国共産党は未だにSNSへのアクセスを厳しく制限している(例えば「グレート・ファイアウォール」〈防火長城〉)。だから、中国ユーザーはインターネット上に存在する様々な情報を得るのは難しい。
また、「インターネット・ポリス」の存在も中国内外で広く知られている。彼らはネット上に共産党への批判や党に都合の悪い事実が書き込まれたら、すぐに削除する。また、常にネットを検閲し、ユーザーを厳しく取り締まる。
このような不自由なネット空間では、自由にモノを考える環境にはない。したがって、共産党による若者への「洗脳」教育が奏功したとも言える。
だからと言って、今後、彼ら「新人類」が中国の将来を担えるかについては大きな疑問譜が付く。そのような硬直した思考回路を持つ若者らでは、恐らく今後の国際情勢に対応できないだろう。
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