澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -76-
香港での「春節騒乱事件」

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 今年は2月8日が春節(旧正月)の初日(元旦)である。中華文化圏に属する香港も例外ではなかった。
 毎年春節に、賑わいを見せる旺角(モンコック)には、行商の出店が立ち並ぶ。だが、これは原則として違法である。取締りに関しては、公安当局の裁量の範囲内となる。今まで香港警察は、旺角の出店に対してこの時期は大目に見てきた。
 だが、今年は様相が異なっていた。2月9日未明、その旺角で「事件」は起きた。例年ならば取締りが緩いはずの香港警察が、突然、店の撤去を開始したのである。
 出店の行商人とその客らが一致団結して警察にレンガ等を投げ、激しく抵抗した。その際、警官は彼らに向けて3発、銃を発砲したという。
 一方、大通りで何かモノを燃やす人たちもいた。そして、次々と段ボールのようなモノがそこに投げ込まれ、火は燃え盛っている。旺角は街全体が騒然となった。
 ちなみに、取材中の香港『明報』の記者は約15秒間にわたり、香港警察に殴打された。記者は警棒で6、7回殴られた上に蹴られている。
 この騒乱事件で、男女61人(男性52人、女性9人)が逮捕されたと伝えられている。

 今回の騒乱は、「67暴動」以来の流血の惨事となった。「67暴動」とは、約50年近く前、まだ香港がイギリス統治下にあった頃の事件である。
 1966年、中国大陸で「文化大革命」が始まった。「文革」は、毛沢東による劉少奇やケ小平ら「実権派」に対する「奪権闘争」である。
 その影響が隣接する香港にも及んだ。左派勢力が香港政庁に対しストやデモを行った。また、同勢力は暗殺や爆弾テロにも関わっている。結局、「67暴動」では、治安当局を含む51人が死亡している。

 さて、香港の梁振英 行政長官は、今度の警察と民衆の衝突を一部の人間による「暴動」と決めつけた。
 実は、梁振英(中国共産党の「地下党員」だったとの噂が絶えない)は、香港人から「689」と揶揄されている。
 梁振英は、2012年の行政長官選挙で1200人の「選挙委員会」(大多数が「親中派」からなる)で689人から支持を得て、ようやく当選を果たした(逆に言えば、香港人689人の支持だけで行政長官となったとも言える)。
 当時、胡錦濤主席は劉延東(現副首相)を深圳へ派遣し、行政長官選挙の指揮を取らせた。劉はいちいち選挙委員会のメンバーを深圳に呼びつけ、梁振英に投票するよう依頼した。梁の当選が危ぶまれていたからである。そのお陰で梁振英は何とか過半数を獲得し、行政長官に就任した。

 ところで、周知のように、一昨年(2014年)8月末、中国全国人民代表大会は、2017年行政長官選挙(初めて「1人1票」が導入される)のルールを突如、変更している。
 本来、1200人の「推薦委員会」(「選挙委員会」の横滑り)の150人の推薦があれば、行政長官候補となることができた。その制度ならば、「民主派」候補も出馬できる。場合によっては、「民主派」人士が行政長官に当選する可能性もあるだろう。それでは、中国共産党は自己の思惑通りに香港政治をコントロールできなくなる。
 習近平政権はそれを恐れた。そこで、2、3人の候補者に絞るよう、推薦人の数を600人に増やしたのである。これで、「民主派」候補は出馬がほぼ絶望的となった。
 翌9月、全人代の決定に抗議して、若者達を中心に香港人が立ち上がった。いわゆる「雨傘革命」である。抗議デモは同年12月中旬まで続いたが、最終的には、香港警察の力によって制圧された。
 その後、習近平政権は、香港に対し厳しい対応を取っている。その典型が、銅羅湾書店(共産党に都合の悪い書物を出版・販売)だろう。
 実際、店主の桂民海(スウェーデン国籍)は、中国公安にタイで拉致され、中国へ連行された。同店株主の李波(イギリス国籍)も、やはり中国公安によって深圳へ連れて行かれている。香港籍の店員3人も大陸へ連行され、拘束されているという。※澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」-49- 参照
 今年に入り、香港警察が動き出した(とは言っても、当局は中国共産党に対して何もできないだろう)。他方、一部の人々が銅羅湾書店メンバーの行方捜索デモを行っている。
 このような状況下で、今回の騒乱事件が起きた。ひょっとして、一部の香港人が北京の政治的圧力に対して不満を抱き、この事件を大事(おおごと)にしたとは考えられないだろうか。


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